日蓮聖人が描かれている『来襲』を読んで

最近読んだ『来襲』という上下の長編歴史小説を紹介させて頂きます。

著者の箒木蓬生氏が、日蓮聖人のお姿や元寇がいか様に書かれているのか興味があり、購読しましたが、最後は涙なしには読めない、期待以上の小説でありました。

 

時は鎌倉時代、当時モンゴル高原及び中国大陸を中心に支配していたモンゴル帝国という強国が勢力を伸ばしていました。当時は「もうこ」や「むくり」と呼ばれ恐れられていました。

蒙古及び属国であった高麗によって二度にわたる日本侵攻を元寇、蒙古来襲と言います。

 

主人公は、安房の国の漁師であった見助、十五歳の頃に日蓮聖人に出会い、惹かれ、耳目として献身的な奉公の姿と成長が描かれます。日蓮聖人に託された目的地は何と元寇前の対馬でありました。

 

日蓮聖人は代表的著述『立正安国論』の中で、人々が正法である『法華経』に背くことで、外国からの侵略始め種々の災難が起こることを予言。

 

対馬で見助は、日蓮聖人の予言通り、蒙古来襲を目の当たりにします。長年にわたる日蓮聖人と交わされた手紙のやりとり、様々な人物との出会いと別れには心震わされます。

 

勿論小説ですので、史実とは乖離した部分もありますが、富木常忍など登場人物の姿にも目が離せません。

「もうこの世で思い残すことはない、あとは日蓮様の許に還っていくだけだ」と言える最期、日蓮聖人のお弟子、法華経信者として、そういう人生でありたいものです。

 

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師走‥走る師とは一体?

令和2年、早くも師走に入りましたね。


新型コロナの感染拡大が止まらず、ついに大阪ではステージ4に当たる赤信号が点灯されました。一体この先どうなるのでしょうか?

 

さて、師が走る12月、師がつく職業は沢山ありますが‥ここで言う師とは、僧侶だそうです。

「12月に坊さんがなぜ走る???」

 

僧侶のことを法師【ほうし】【ほっし】という呼称があります。人々に法を伝え、人の師となるべき存在だからです。

 

平安時代に貴族の間で「仏名会」と呼ばれる法会があり、一年間の罪障消滅をしてもらう為にあちこちから僧侶に声がかかり、貴族の邸に祈願に行くために走りまわったからという説があるようです。

 

12月は僧侶に限らず、どうしてもバタバタしますし慌ただしくなりますね。

 

感染拡大の中、今まさに大阪などは医療がひっ迫しており、特に医療従事者の方々は大変な中、仕事をされています。今年の師走は医師や看護師さんこそ師走に相応しいのではと思います。

早く安寧な世が訪れることをお祈りします。合掌

京都本山での勉強会に参加した

法縁と言って仏法で繋がる縁、昔の学閥、一門です。即ち縁故の寺の集まりです。当山が属する縁頭本山が京都本山妙覺寺です。


大河ドラマ麒麟がくる」で毎回のように登場する歴史ある妙覺寺さんは、斎藤道三の出家得度、織田信長が定宿にしていたお寺です。

 

5年前の私の入寺式の際、妻とご挨拶に行かせてもらったのがきっかけで、月例勉強会に参加させて頂くことになりました。

昨日は9月に引き続き、妻と参加しました。

 

中国の天台大師の法華三大部の一つ「摩訶止観」という注釈書の講座ですが、難解な天台教学の講義ではなく、寺族も受講できるような人生の指針などが学べる内容になっています。

 

有限である人生、コロナ禍において、孤独を感じている人が多いかも知れませんが、改めて人との関わり方、言動、社会活動についても考えさせられました。

 

紅葉が美しくて、写真に収めました。

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緊急事態宣言の解除と甲子園中止に関しての考察

関西三府県で緊急事態宣言解除で一気に収束ムードになってきた。果たしてこんな前のめりで良いのか?

感染者数は確かに減っているが、気の緩みが怖い。

第二波は、秋冬に来るという専門家もいれば、近いうちに来るという見解もある。

 

でも、社会経済活動をこれ以上の期間止める訳に行かず、日々の生活がかかっている方にとっては、気を緩めてもらわないことには成り立たない。


寺院の活動としても、行事や法務のあり方をどうすべきかも考えていかなければならない。当然、命と安全を守ることが前提にある。

 

話題は変わるが、夏の甲子園が早くも中止と決まった。

無観客試合にした所で、移動や宿舎での集団生活の中で、選手や関係者の命と安全を守る為には、致し方ないが、戦わずして甲子園出場の夢が絶たれる現実‥。特に3年生の気持ちを慮ると気の毒でならない。

 

選抜高校野球は、大会の2週間前に中止が決まったことで、出場予定だった選手も、ギリギリまで考えてくれたという気持ちもあっただろう。

夏の大会も決断を下すのは、来月くらいでも良かったのではないだろうかと思う。決定日の数日前には中止の方向でと、報じられていたのも腑に落ちない。球児への配慮があって然るべきだと思った。

 

甲子園は特別で夢の舞台である。

大人が知恵を絞り、独自の地方大会を行うこともさることながら、選抜大会出場予定校も含めて、最後に1試合でも出来るよう救済措置を出して欲しい。

 

最後に‥辛く悲しい経験が、新たな目覚めに繋がるきっかけとなると仏教(法華経)でも説かれる。乗り換えることで今後の人生の糧となるはず。

 

 

 

 

我慢と自粛警察

コロナ禍の中、緊急事態宣言が延長されました。

引き続き、更なる我慢が強いられます。


我慢という言葉は、元々仏教用語であり、普段私たちが使っている我慢とは意味が異なります。

 

仏教で慢は、他者と比較して自らおごり高ぶり、過大評価することを言います。
慢は七慢に分けられていまして、その中で代表的なものが我慢、邪慢、増上慢であります。

 

我慢は、自負心の強いうぬぼれの心
邪慢は、徳がないのに他人を凌ぐこと。
増上慢は、悟ってもいないのに悟ったと思っていることです。

全ては慢心から生まれる我への執着であります。

 

今まさに、不安や恐怖心が蔓延し、イライラや怒りが生じ、あちこちで醜い対立が起こっています。

 

自粛警察と言われる私的な取締りを行う一般市民が増えています。

正義感を振りかざして、外出自粛や営業自粛に応じない人や店舗に対して、監視の目を光らせ、通報したり、ネット上に晒したり、張り紙をしたり‥

 

要請に従っている自分の行いは正しく、従わない人は全て悪と見做す考えは、正義感に酔っている状態で、自負心の強いうぬぼれそのものです。

 

仏教は因果を説きます。人の心や行動が反映された結果が環境となります。

故に苦から逃れ、利を求め、自粛をしないという行動も他者や環境に影響を及ぼします。

1人1人が慢心をなくすし、現実から目を背けず、調和と平和を目指すのが仏教です。

 

 

 

火宅からの救出劇

法華経』の中には、方便品・譬喩品・法師品・見宝塔品の要文を集めた「欲令衆」というお経があります。


そこでは、お釈迦様が出現された理由が明かされ、唯一お釈迦様だけが私たちを救うことが出来ると説かれます。また多宝如来がこのことを証明されます。

 

「三界は安きことなし、なお火宅のごとし」
三界(欲界・色界・無色界)と言われる六道輪廻の迷いの世界には、苦しみや不安が充満しています。それはまるで火事で燃え盛る邸宅のような状況です。

 

お釈迦様は生きとし生けるもの全てを我が子として愛しておられますので、恐ろしい状況から我が子を何としてでも救い出すため方策を講じ実行されます。


法華経』の譬喩品には三車火宅の譬喩が説かれています。

長者である父親は、火事で燃え盛る邸宅にいる子供達を救い出すシーンが説かれています。子供達は遊びに夢中になって火の手が上がっている事に気付きません。しかも邸宅には逃げ道である門が一つしかありません。父親は子供達が興味を示す玩具で釣って脱出させました。結局は玩具よりも高価で荘厳な大白牛車を与えたのです。

 

これは方便を用いて子供達の命を救ったという話ですが、長者の父親がお釈迦様、子供達が私達衆生であると提示しています。

 

今コロナ感染が収まらぬ世の中こそ、まさに火事で燃えている邸宅であり、その中に私達は居るのです。欲望に負けてしまいパチンコに夢中になってしまう姿などは、まさに遊びに夢中になって火事に気付かない子供達を彷彿させます。

 

お釈迦様は三界の主で、私達衆生の指導者であり、父親であるというお釈迦様の尊き存在と救済力を認識し、信じ、分別ある正しい行動が私たちに求められることろです。

 

動画配信「三界火宅と現状の社会」⏬

https://youtu.be/9ABLTAhhfpw

感謝の気持ち伝える心施とは?

今皆さんが求めているものは何でしょうか?

物、仕事、お金、援助、慈愛、繋がりですか?

今こそ助け合いと施しの精神が必要です。

 

そんな中で今、命懸けで仕事をされている方々がいます。病院など医療現場で働く医療従事者の方々ではないでしょうか?
あちこちで院内感染クラスターが発生している現状があります。医療従事者の方々は、勿論感染のリスクを承知の上で仕事をされています。

 

本日は布施の精神についてお話をします。
お布施とは、僧侶にお経を唱えてもらった後に、支払うお経料みたいに思われている方が多いかもしれません。

 

元々、仏教の出家者は私有物を持つことを禁じられていました。糞掃衣というボロ布を継ぎ合わせた粗末な袈裟、法衣をずっと着用していました。
布の施しによって僧侶の衣が作られたのです。

 

先ず三施から説明します。
財施=財物や衣服など物質を施すことで、金品も含まれます。
②法施=人々に法、教えを説くことです。
無畏施=人々の恐怖を取り除く行いです。

 

上記の三つの布施以外に無財の七施と言われるものがあります。

 

眼施(慈しみに満ちた優しい眼差し)②和顔施(笑顔の施し)、③愛語施(優しい言葉)、④身施(自分の身体を使って奉仕すること)、⑤心施(思いやりある心で接すること)、⑥状座席(席や場所を相手に譲ること)、⑦房舎施(雨風をしのげる所、一夜の宿を与える行為)

 

無財の七施」はどれを取っても、財産がなくても、自分に出来る人に対する道徳的な施しであります。

 

得てして人間は「これだけしてあげたのに…」「これだけあなたのこと思っているのに…」とどうしても考えてしまいがちになります。

 

見返りを期待する情けや施しは、布施の精神からは逸脱します。

自分が生きていることによって、周りが良くなるように念じ、良い影響力が与えられるようになることが大事なのです。

 

無財の七施の5番目の心施(しんせ)とは、思いやる心で接する、感謝の心で持って施すことです。

今まさに日本のみならず、世界中の医療従事者に対し、心から感謝の気持ちを伝える行動が増えています。
 医療現場の方のみならず、色々な場で危険性と隣り合わせで、働いておられる方がいます。

 

「ありがとう」とは、有ることが難しい。滅多にない。得難いものを得るということです。改めて有り難さに気付くこともあろうかと思います。

感謝という施しを忘れないようにしたいですね。