大阪朗門会 研修参拝旅行2日目「法性寺」「安国論寺」

  大阪朗門会研修参拝旅行2日目、朝から京浜急行で鎌倉方面に移動した。

逗子市にある猿畠山法性寺は、松葉ヶ谷法難【まつばがやつほうなん】の際に日蓮聖人が白猿に導かれ避難したと伝えられている場所で、身を隠し潜まれたと言われる洞窟もある。そこでは、お猿畠と言われる所以を知ることができる。

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 松葉ヶ谷とは、鎌倉市大町の名越に含まれる一地域名で、日蓮聖人が草庵を構えた場所で鎌倉での布教活動の起居となった場所である。

 その草庵で書かれた『立正安国論』を前執権の北条時頼に提出されたことで、反感を持った念仏者達によって草庵が襲撃、焼き討ちされた事件。日蓮聖人の四大法難の1つに数えられる。

我々は奥の院にある日朗上人の御廟所で参拝した。

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 次に訪れた鎌倉市にある安国論寺は、日蓮聖人が鎌倉に入られた際に修行道場とされ『立正安国論』を書かれた御法窟や、松葉ヶ谷法難の際に一時避難された南面窟があり拝観した。また日朗上人の荼毘所もあり参拝させて頂いた。

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  日蓮聖人、日朗上人の所縁のある場所を実際訪れ、報恩感謝の誠を捧げることができたのは、当研修参拝旅行での最大の目的であったが、更に信心を堅固にし、それぞれの自坊に戻ってから、日々の布教活動をより深めることが求められる。

 

 午後からはフリー時間があり、観光客で賑わう鎌倉小町通りなど自由に散策した。

 

 余談になるが、安国論寺参拝の後、昼食でたまたま訪れた場所が、別荘のような木造の佇まいの鎌倉民家倶楽部 楓さん。ゆっくりくつろげるアットホームな雰囲気だった。

 そこでご主人が作る手作り料理とお酒を堪能し、参拝旅行の良い思い出作りができた。

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おわり

 

 

大阪朗門会 研修参拝旅行 初日「本山平賀本土寺」

 去る6月14日、大阪朗門会主催で研修参拝旅行をした。羽田空港に降り立った会員有志の7名が向かった先は千葉県松戸市にある平賀本山本土寺

 紫陽花寺としても有名な本土寺、その日も多くの参拝者や観光客の姿があった。

 

 開創以来七百余年の歴史と伝統を有する本土寺の寺号には、『法華経』の「如来寿量品」で説き明かされる永遠の命を持った仏様がまします現実の娑婆世界が永遠の本国土であるという意味がある。

 

 同お経の一節にある「寶樹花果多くして、衆生の遊楽する所なり」の楽園浄土の世界を本土寺に実現したいという意向から、この半世紀、紫陽花などの植樹を中心に境内整備に努めて来られた。
 秋は紅葉も見事で四季折々の風景に訪れる人は魅了される。

 

 そんな平賀の長谷山本土寺は、日蓮聖人のお弟子六老僧の1人であった日朗上人が開基となり、門流の起点となった本山でもある。

 

 池上の長栄山本門寺、鎌倉比企谷【ひきがやつ】の長興山妙本寺とともに、それぞれ三大寺には全て山号に長がつき、寺号に本が付くことから、朗門の三長三本と言われるそうだ。

 

 大阪にある日朗上人縁故の御寺院が集まって発足したのが大阪朗門会、平成25年に初代会長として発足させたのが私の師父の先代住職であった。

「会として本土寺へ参拝旅行をしよう」と発足当初から言っていたのが先代であった。

 

 昨年遷化され念願は果たせませんでしたが、先代の思いを引き継ぐ形となり実現した今回の参拝旅行であった。


 先代の卒塔婆も上げさせて頂き、大変良い供養となったと思う。先代の長兄にあたる本土寺貫首 三田村猊下も喜んで頂けたかと思う。

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 参拝の後は、諸堂もご案内頂いた。我々一行は本土寺の楽園浄土の美しさに時の経過を忘れる程だった。

 つづく

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八尾市仏教徒大会で露の団姫さんの落語と講演

17日は八尾市プリズムホールでの八尾市仏教会主催、第11回八尾市仏教徒大会に参加した。

記念講演は落語家で天台宗僧侶の露の団姫(つゆのまるこ)さん。坊さんバラエティ「ぶっちゃけ寺」などテレビに出演されるなど知名度もあるだけに大ボールは満員!

受付で用意されていた1500個の記念品はあっという間に捌けたとのこと。
来賓として八尾市の田中市長のご挨拶もあった。

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露の団姫さんの仏教落語と講演は流石に面白かった!
落語と仏教は切っても切れない関係で、落語の源流の1つが仏教のお説教だそうです。

まさかクリスチャンであるご主人、豊来家大治朗も一緒に来られ曲芸が見れるとは思わなかった。
八尾市はお二人にとってご縁のある思い出の地でもあるそうな。

販売の本が完売するまでホールの駐車場が開かないと仰るので、サイン入りの本を買わせてもらった(笑)。 

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大切な法要と総代・役員・サポーター認証式

 去る6月5日、当山で行事がありました。

 午前中は永代供養塔前で合同慰霊法要、休憩を挟み午後1時からは本堂で歴代上人報恩会並びに永代施餓鬼法要がありました。この法要は先代住職の代から毎年この時期に開催している大切な行事であります。

 なぜ大切な行事であるかを檀信徒の皆さんにお伝えするのが、寺側の大切な役割であります。当日の法話や寺報でお伝えしたことをこちらでも再度紹介します。

  光要山本照寺は、永禄元年(1558年)現在の天満駅の近くに、開山光要院日沾上人により小庵が開創され今日まで458年、代を閲すること現住職で三十代、歴史と伝統が脈々と受け継がれてきました。

 檀信徒の皆様にとっても歴史と伝統のある菩提寺であります。菩提寺とは先祖のお墓やお位牌が祀られている場所のみならず、信仰の拠り所、安らぎの聖地、更には自身の魂が成長する場所でもあります。

 菩提寺は、ご家庭で祀られているお仏壇、更には総本山である身延山久遠寺と一つに繋がっているのです。そのことを思い、仏壇であっても本堂であっても変わらず報恩感謝の誠を捧げることが大切です。

 これまで、歴代住職と共にお寺を支えて来られたのは、檀信徒のご先祖でもあります。歴代上人への感謝を始め、永代として長きに亘り祀られているご先祖様にも感謝の気持ちを表す法要が、大切な歴代上人報恩会並びに永代施餓鬼であります。

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 その大切な法要に続いて、総代・役員・サポーター認証式に移りました。長きにわたり支えとなって頂いていたり、また新しくサポーターになって頂いた方々に対し感謝状授与を行いました。その記念すべきセレモニーの余興として、花を添えて頂いたのは、ご縁があって東北復興支援活動を共にしているシンガーソングライター泉拓人さんでした。

ミュージシャンだけあり、本堂にある仏具楽器に着目されていた泉拓人さん、今回は「上を向いて歩こう」の曲に合わせて参加者に団扇太鼓を持って叩いてもらいました。

一体感が増し盛り上がりました。音楽イベントが好きだった亡き先代住職も喜んでおられることでしょう。

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全国社会教化事業協会連合会 中部教区名古屋大会に参加

6月8日〜9日、平成28年度 全国社会教化事業協会連合会 中部教区名古屋大会に参加しました。当会は日蓮宗宗務院に事務所がおかれ、多岐にわたる社会奉仕と社会教化活動の支援を行っている組織であります。
大会には全国から多数集い、熊本からも熊本県社教会の園田会長様が来られご挨拶されました。

初日は昭和区にある日蓮宗 法音寺様で研修会がありました。
法音寺様の社会救済活動の歴史は古く明治42年まで遡ります。
仏教を以って世の人々を感化し救済したい」との目的でハンセン病患者の救済や孤児院、養老院などの諸施設を設立され活動が始まりました。

研修会は3人の先生による記念講演でした。
先ず法音寺ご住職の鈴木正修上人より『法音寺の福祉活動の歩み』と題してお話がありました。ご住職は日本福祉大学の理事長と社会福祉法人昭徳会の理事長でもあられます。
かつて強い感染力を持つことで恐れられ、社会から隔離されるなど過剰な差別と偏見があったハンセン病、そんな中で患者への救済活動に先師が全力で取り組んで来られたというお話をお聞きしました。

続いて日本福祉大学社会福祉学部 准教授の湯原悦子先生による『日本福祉大学スーパービジョン研究の一例〜非行少年の立ち直り〜』と題してのお話。
日本福祉大学のスーパービジョンとは、社会実践者の育成を担うことであるということ。
当大学の創始者で日蓮宗僧侶の鈴木修学先生が目指された「社会的に弱い立場に置かれた人々へあたたかい眼差しを持つこと」が現代に受け継がれ、実践されていることを知りました。

また非行が生じるメカニズムと、犯罪・非行からの立ち直りに向けた取り組みの必要性をお話されました。社会との絆を多く持ってもらうことが大切で、その1つには、非行をする時に大切な人が頭に浮かぶかが抑止となるそうです。それには周囲から愛情を持った支えが不可欠であるとのことです。

最後は、NPO法人 再非行防止サポートセンター愛知 理事長  高坂朝人先生による『非行少年は、自分と未来を変えられる』と題してのお話。
冒頭で「実は恥ずべき過去がありました」と述べられ、13歳から犯罪を繰り返し少年院にも入り、暴力団準構成員だったご自身の過去を語られました。

このままではいけない、大切な家族を守らなければという強い思いから一歩を踏み出し、立ち直りを果たされました。自分と未来は変えられると力強く仰る。でも1人では変えられない。周りの信じてくれた方々のお陰によって今の自分があるのだと‥。

現在二児の父となられた高坂先生は、NPO法人の理事長として、再非行防止のサポートを実施され、再非行を減らし笑顔を増やす活動を懸命にされています。大変貴重なお話でありました。

夜は名古屋観光ホテルにて懇親会。
余興として国際ミュージック空手連盟 闘真さんによる空手と音楽のパフォーマンスがありました。力強さと華やかが両方兼ね備えられた若い方たちによる演技でありました。

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翌日は総会があり、部門別活動報告も代表者からされました。
そして懇親会の席で集められた熊本地震に対する支援金が、九州の常任理事の方へ手渡されました。

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熊本訪問記 最終章

城造りの名人とも言われた加藤清正公、彼が築いたのが日本の名城の1つ熊本城である。この度の熊本地震では、熊本城の石垣が崩れしゃちほこも崩落した。 崩れた石垣を目の当たりにすることで、激震の破壊力をまざまざと感じた。

熊本地震は熊本のシンボルだけでなく、多くの建物を破壊し、山を崩し、そして尊い命までを奪った。熊本の皆さんが口々に仰るのは、途轍もない激しい揺れだったということ。証言からも想像を遥かに超えた激震だったことが分かる。

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翌日は南阿蘇村を視察した。車窓から目に飛び込む風景に思わず見惚れてしまった。美しい大自然の山々に囲まれた何とのどかな場所なのだろうか。

阿蘇くじゅう国立公園内には、東海大学阿蘇キャンパスがある。震災により学生さんの若い命も奪われた。

周辺の山々の山肌があちこちで大きくえぐられていた。大規模な土砂崩れがあったことが伺える。この辺は火山灰が堆積しており、地滑りが起こりやすいと専門家のお話にもあった。

民家の近くまで車で行った。周辺は閑散とした雰囲気で、廃墟と化したという表現は相応しいかどうか分からないが、どなたも住まれていない様子であった。いや、避難を余儀なくされているのだ。
地震により軒並み倒壊した建物が目に映った。学生さんが居住されるようなコーポのような建物もあり、多くの建物が一階部分が二階部分に押し潰されるように崩れていた。

そこで家財道具を軽トラに積まれ、運ぼうとされていた住民らしきお2人の女性が近付いて来られた。挨拶を交わし少し立ち話。彼女たちは近くの避難所におられるとのこと。発災当初は、阿蘇大橋なども崩落し道路も寸断したことで、孤立状態だったと仰っていた。そんな中、大阪や神戸からもボランティアさんにが来られ大変有難かったという言葉が印象的だった。

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私は東日本大震災被災地、東北へは何度も訪れた。皆さん仰ることは現地に来て頂きたいということだった。その言葉を言い換えるなら「忘れないで」「少しでも関心を寄せて欲しい」ということなのだ。

今回の滞在時間は僅か27時間だったが、その中で現状を見て、お話を聴き、空気に触れ、色々なことを知った。テレビのニュース報道を観ても、ネットの記事を読んでも知り得ないことが沢山あった。

別れ際に現地の方に「また来ます」とお伝えすると笑みがこぼれる。
忘れないでいることが、復旧・復興への歩みに繋がる。関心を寄せることで、自然と情報を手繰り寄せることができる。災害はいつ何処で起こるか分からない。明日は我が身でいつ救助される側になるか分からない。「自分が被災したら」ということを考え行動することが、この国に住む全ての人に求められているのではないかと思う。

おわり




熊本訪問記 第2章

余談であるが、NHK大河ドラマ真田丸』にもしばしば登場する肥後国・熊本初代藩主の加藤清正公は、篤い法華の信者としても有名である。戦場では「南無妙法蓮華経」のお題目が書かれた旗を掲げ、お題目を唱えながら戦ったそうな。

後に清正は、九州熊本を中心に本妙寺、法心寺、本蓮寺、法華寺、本経寺を建立し、5ヶ寺の一文字づつを取って「妙法蓮華経」となるように号したと言われる。そんな加藤清正公と所縁のある肥後国熊本県には日蓮宗の寺院が108ヵ寺ある。

今回の熊本地震では熊本県を中心に被災寺院が48カ寺との報告があった。
最も被害の酷かった地域である益城町にも2カ寺ある。その1つの道安寺様を慰問させて頂いた。

車で町に入った瞬間に風景が一変した。高いビルこそないが、家々が軒並み損壊し、瓦屋根が剥がれ堕ち、ブロック塀が崩れ、隣の建物に寄りかかるように倒壊していた家も多くあった。
実際目で見ると、映像で見るよりも全体的な被害の凄まじさがより分かる。そん中をゆっくりと車を進め、道安寺様の駐車場に到着した。

住職が出てこられ、2度目の本震で天井と壁が崩れ堕ちた本堂に案内頂いた私達は、そこで貴重なお話を伺った。

16日の本震が起こった際には、境内の駐車場内に駐車していた車内にご家族と避難されていたご住職。激しい揺れと共に車ごと5メートルくらい飛ばされたと仰っていた。建物内にいたらと思うとゾッとする。

二階にある本堂、震災当初は天井と壁が崩れ堕ち、散乱していていたが、方々のお手伝いもあり、一カ所にまとめられ、堂内には大きなブルーシートがかぶせてあった。
床と壁の隙間に完全に挟まって取れないガラスの一部から、地震の激しさが想像出来る。

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復旧は長期戦を強いられるであろう。被災されている檀家さんも多くいらっしゃり、寄進のご協力と言っても厳しい現状が待っている。更に政教分離の原則により、神社仏閣など宗教法人施設は行政より義援金は分配されない。修復にあたっては、想像以上に金銭的な補助、支援が必要な現状であることを認識した。

その後、住職の先導により町中を歩いて視察した。
 倒壊した家屋が手付かずのまま並んでいる。取り敢えず道を阻むものはどけて、車が通れるようにした感じだ。

14日に一度目の最大震度7地震が起こった時は、これが本震とされていたので、もうそれ以上の揺れはないと考えるのが普通で、安堵しているところに本震が来たのだった。実にエネルギーの大きさが16倍だったという。一度目の地震には何とか持ち堪えたが、後の本震で倒壊した建物が多くあったようだ。2度の震度7クラスの激しい揺れに耐えられるようには普通は建てられていないそうだ。

被災した建物には色別に張り紙が貼られていた。赤い紙は立ち入りが危険な建物。黄色の紙は建物内に入る場合は注意が必要。緑の紙は調査済みで使用可能という意味があるそうだ。

仕事が殺到している瓦屋、解体業者など、悪質な法外な値段の釣り上げや、解体業者を装っての詐欺グループなども出現しているそうなので注意が必要。

また、道安寺様では住職の許可を得て堂内の写真を撮らせて頂いた。地震の被害や状況を多くの方々に知ってもらうためにも文章や説明だけでなく、写真を見て頂くことも大切な部分なのかと思う。もちろん撮影は節度を守り、被災者の方々への配慮が必要。

益城町を後にし、私たちは熊本市内へと向かった。

つづく