安倍総理の真珠湾訪問と慰霊の意味を考える

昨日、安倍総理真珠湾のアリゾナ記念館を慰霊のために訪問し、オバマ大統領と共に献花をした。

 

慰霊とは亡き御霊に想いを捧げ、安らかなることを祈ること。と同時に亡き方々の生きた証を知ることも大切なこと。それはその方が生きた歴史を学び知ることでもある。

 

日本海軍による真珠湾攻撃で、2400名もの方が亡くなり、八隻もの戦艦が壊滅し、アメリカにとっては壊滅的な被害であったことは紛れも無い事実であった。

 

今年の5月には、オバマ大統領が広島の原爆ドームを訪問、感動的なスピーチをされ、被爆者の方の手を握り抱き寄せた。

今回はお返しとばかりに、ハワイ真珠湾に建てられたアリゾナ記念館への訪問、慰霊であったが賛否両論はあろう。

 

文学的な表現を取り入れた臨場感あるスピーチと言い、式典参列者との握手に抱擁と言い、対比すると共通点は多いように見えるが、歴史という観点から捉えた場合は、真珠湾攻撃と原爆投下を同じ土俵で対比はできない。

 

太平洋戦争の始まりと終わりという一言では語れないし、戦死者の数でも語れない。

絶対に考慮すべきなのは、民間人の犠牲か軍人か、そして核兵器が使用されたか否かである。

それには歴史的な背景を知ることが大切になってくる。

 

安倍総理はスピーチで「和解・寛容」という言葉を使われた。

アメリカでは来月トランプ大統領が誕生するが、排外主義は寛容とは相反するが‥。

 

他にもTPPの問題や沖縄の基地移設問題など日米が抱える問題は多い。

戦争と言えばアジアとの問題改善も決して置き去りにしてはいけない。

 

また、集団的自衛権閣議決定など、安倍政権の方向性を鑑みると、昨日述べられた「不戦の誓いを貫き平和国家」であり続けることができるのかは疑問符が付く。