東北の旅2016 〜会いたい仲間に会いに行く〜 【福島原発被災地編】最終話
「これから向かう場所ですが、線量が高く被爆することになります」というガイドさんからの一言によって緊張感が増した。
ツアー後半に訪れる場所はいよいよ、双葉町、大熊町、年間50ミリシーベル以上の帰還困難地域が広がっている場所でもある。
国道6号線は要所要所に警察官が立っていて(若い警察官が目についたが‥)物々しい雰囲気だった。歩行者は勿論いない。バイクや自転車など二輪車以外の車は通行はできるが、窓は開けられないし、停車せずにそのまま突っ切らなければならない。
道路と住宅の間にはバリケードが設けられ、そこにも警察官が立っている。
ガイドさんのガイガーカウンターの警報音が鳴り響く。エンジントラブルなど車に予期せぬことが起こり、この場所にしばらく取り残されたらと思うと底しれぬ不安感にさいなまれる。
ほんの数キロ先には第一原発。白い排気塔が見える。
ガイドさんの案内で抜け道を使い富岡町の夜ノ森駅付近に着いた。そこでガイドさんは元JR常磐線の車掌さんだと知った。通りで詳しい訳だ。
車から降りるとカウンターの線量がぐんと上昇した。
夜ノ森駅の周辺にはツツジの木がたくさんあり、花が咲く時期には徐行運転をして乗客に楽しんでもらっていたと懐かしそうに語っておられた。
更に富岡町には桜並木もあり、毎年多くの花見客が訪れる名所であった。原発事故の後、花見客が集まることはなくなっても桜並木たちは毎年怠ることなく美しい花を咲かせる。ガイドさんが持っておられれた満開の桜並木の写真を見せてもらった。
住宅街近くの帰宅困難地域とそうでない境界を通過した。バリケードが張り巡らせていた。中には真新しい家もあった。住めずにローンだけが残った人もいるだろう。補償、賠償の問題はどうなっているのだろうか?
汚染された廃棄物や汚染土を保管する中間貯蔵施設の建設が予定されている大熊町、双葉町にまたがるその場所には、フレコンバックと呼ばれる袋詰めにされた汚染土などが積み上げられていた。
そのフレコンバックは、どんどん増え続けるのだ。古いものは当然劣化する。
尚、廃棄物は30年以内に県外に搬出し最終処分と法律で定められているそうだが、最終処分先のめどはついておらず、中間貯蔵施設がそのまま最終処分所になるのではと仰っていた。
初めて訪れた福島原発被災地。宮城、岩手の被災地と大きく異なるのは、放射能汚染地域があること。先が見えないということ。そこは山があり、海があり美しい自然に恵まれた本当に良い場所。
原発さえ、事故さえなければ、他の被災地のように復興が進んでいるはず。
おわり