東北の旅2016 〜会いたい仲間に会いに行く〜 【福島原発被災地編】その4

福島と聞いて、あたかも「福島全体が汚染されている」と思われている人がいらっしゃるかも知れない。また、遠く離れた海外の方にとっては、「Fukushima全体が危険な地域だ」ととんだ誤解をされている人もいるようだ。

 

かつてチェルノブイリが死の街と言われ、広範囲に被害が及んでいるいると恐れられた時のように‥。


福島県は北海道、岩手県に次いで全国で3番目に広い面積である。その中で帰還困難地域を含む原発被災地と言われる地域は、ごく一部であることを確認しておきたい。


でも実際に私も現地に行くまでは、その距離感がゆず知れず、福島第一原発が肉眼で見える位置まで来れるとは想像だにしなかった。

 

原発から距離が近い場所が放射線量が高く、離れていくに連れて低くなるとは限らない。それは風向きによって大きく変わるのだ。そのことはガイドさんが持っておられたガイガーカウンターの数値でも確認できた。


水素爆発が起こり北西の風に乗って拡散されいたという事実は、後になって発表された。

当時は多くの住民が浪江町の津島地区に避難していたが、浪江町の町民や町長にも知らされなかった。

いや浪江町の町民だけでなく、政府は日本国民に真実を隠蔽したのだった。

 

次に訪れた浪江町の請戸地区は今回最も印象に残った場所となった。7キロ先には福島第一原発の排気塔がはっきり見える。


太平洋に面し県内有数の漁港がある所としても有名、請戸海岸には海水浴場もあり、震災前のこの時期は毎年賑わっていた。


津波放射能汚染という未曽有の複合災害が起こったことで、漁師さん達の威勢の良い掛け声、子どもたちの笑い声、家族の団欒が消えた。


沿岸から約500メートルの位置にある請戸小学校の校舎だけが残り、他は殆んど何もなかった。同校の生徒さんは避難したため奇跡的に1人の犠牲者も出さなかったそうだ。


だが津波は多くの人の命を奪った。更に原発事故による悲劇が起こる。それで助かるはずの命が救われなかったのだ。

 

翌日、残された多くの生存者によって救助を求めるクラクションが鳴らされていたそうだが、消防や自衛隊が救助に向えないという事態が起こっていた。

 

その無念さは計り知れない。浪江の町は家畜だけでなく人間も見捨てられた場所だった。

私は請戸に向かって合掌して読経をさせて頂いた。

 

 つづく

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