大阪チャリティー被災地訪問記 〜第2話〜 美しい岩井崎と小泉海岸の防潮堤

次に連れて行って頂いた場所は、松林に囲まれた国立公園にも指摘されている美しい岩井崎という岬だった。
 
これまで、震災後気仙沼には5回行かせてもらったが、観光地には行ったことがなく、こんな美しい場所があることを知らなかった。
 
 
 
海に微細物が誕生した頃のはるか古代から海水により、長い年月をかけて浸食された石灰岩が広がり、岬の先には岩孔がありそこに波が打ち寄せるたびに潮を吹き上げる。太平洋の遥か先を睨む龍の姿をした松があった。あの津波から奇跡的に残った龍の松として保存されるそうだ。
 
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少し車を進めると高台に慰霊碑があった。この付近に避難したこの地区の多く住民が津波に飲まれ犠牲になった。碑の背面には2歳の幼児の名前も刻まれていた。
中には奇跡的に流れ着いた漂流物に捕まり傷だらけになりながらも助かった人がいたという話を伊藤さんから聞いた。私はその慰霊碑の前で手を合わせ慰霊供養を懸命にさせて頂いた。
 
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次に訪れた小泉海岸、震災前は白い砂浜が美しい有名な海水浴があった。そんな美しい砂浜が埋められ、14,7メートルもの防潮堤が計画に向けて工事がその日も進められていた。
この地にも住宅地があって、多くの住民の命が失われた。高台に献花台があったので、そばの木の葉をお供えし、祈りを捧げた。
 
昨年の住民説明会でのこと、1人の高校生が建設に反対意見を述べたが、会場からは罵声が飛び、失笑が漏れたそうだ。伊藤さんたちも続いて反対意見を述べられたが、時間切れという言葉で会は閉じられたとのこと。どこまでも強引に進める行政であった。
 
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そんなお話を聞きながら、南三陸町の防災対策庁舎へ車を進めて頂き、慰霊供養をさせて頂いた。周りは土のかさ上げ進んでおり、昨年までと様子が少し違っていた。
 
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三陸「辰巳や」さんで、一緒に昼食を取り美味しい海鮮丼ぶりを頂いた。
気仙沼に戻り、私たちは再会を約束し仙台空港へ向かった。
次回訪れる時は、風の広場のあるビルは解体されていても、また違う場所で元気な顔が見れることを楽しみに、また美しい海と山が広がり、銀河のような星が輝く気仙沼をこれからも応援したい。
 
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つづく