坊さんとセラピストによる講話 第2回〜悲嘆ケアと湯灌について〜
「お坊さんとセラピストによる星になった命の講話」第2回目の今日は、前半が私の悲嘆ケアの話、後半がセラピストのSAPUNAPIたえさんによる湯灌の話でした。
前回は自坊である本照寺で行いましたが、今回は八尾市にあるリフレandボディーオイルマッサージ・サプナピさんで開催しました。
これまで私が経験した、大切な家族を亡くされた檀家さんや知人との触れ合い、また東日本大震災の支援活動の中からの気付きや思いをお話させて頂きました。
悲嘆とは大切な存在を失って生じる悲しみの感情や喪失感であり、グリーフとも言います。
悲嘆にはプロセスがあり人によって異なります。
その悲嘆とどう向き合って行くのか、またどう接して行くのかを紹介させて頂きました。
悲嘆者は、自分の心に嘘を付かず、1人で抱えこまないこと。また、支援者は共感や傾聴がいかに出来るか…。
何気ない言葉や態度一つで悲嘆者を傷付けてしまうことがあるのです。安易な共感、上から目線の忠告・説教は充分配慮しなければなりません。
最後に最期のお別れの場である葬儀の意義と仏教僧侶の役割を、自身の立場からお話させて頂きました。(これに関してはまたいずれブログに書きたいと思います)
続いてたえさんによる講話。
湯灌師という仕事からの経験談は、普通の人にとってはまず知り得ない未知の世界であります。
まず、ご遺体を触ったことがありますか?からの質問でした。
生きているというのは、体あって、魂があって、感情があります。それに対して人の死は…。
ご遺体は、決してきれいな姿形だけではないというのが現状であって、惨いですが一体二体と数えるように、人から物体に変わってしまうのです。
誰もが最期にはそのような姿になってしまう無常観を改めて感じさせられました。是非若い人にも聞いて頂き、考えてもらいたい内容だと思いました。
終わってから、参加者の皆さんと一緒に感想など聞いて座談会をしました。すごく中身のある濃厚な時間となりました。