「リアリティーの先にあるものを探し求めて 第1話」〜大川小学校での慰霊供養〜

あれから3年が過ぎた。3月11日前後にはテレビ報道はこぞって特集を組んでいた。
だがそれが過ぎれば何もなかったかのよう…。
人間の脳は忘れるように出来ている。それが辛い記憶であればあるほど、目を背け忘れようとするものだとも言われる。
だが、1000年一度と言われるあの震災を忘れてしまうことなどあり得ない。
まだ3年である。今回の訪問でお会いした被災地の方が口々に仰っていた。「4年目の今年は最も大切な時期である」と…。


震災後私にとっては今回が6回目の訪問である。
過去5回は、単独訪問始め有志の僧侶や妻と行ったこともあった。
今回はお世話になっている大阪の泉たくとさんというボーカルトレーナーでシンガーソングライターと一緒に行くことになった。共にお寺でのチャリティーライブイベントを企画したりして支援活動を共にしている。

仙台空港を降り立ち、グレーのホンダフィットに乗り込んだ我々が真っ先に向かった先は石巻市立大川小学校。仙台東部道路を加速度を上げて走る。

今回初めての東北訪問となった泉たくとさん。私は所々で彼に説明するが、それよりも実際目で見て感じたことが初めて訪れる人にとってどれだけ大きいか。それは実際行った人でないと知り得ない部分だと思う。

石巻市立大川小学校と言えば、全校児童の7割の70名以上と教師が亡くなった悲劇の学び舎…。供養に訪れる人が後を絶たない。その日も大型バスの団体さんが来られていた。
2011年の11月に初めて1人で訪問して以来、毎年来させてもらっている。宮城県に来たら自然と足が向かう。まるで供養を求められているかのように…。

その日も吹き荒ぶ風が冷たかった。私は祭壇前に向かい読経供養を始めた。色々な思いが馳せる。自分で作って来た回向文を読み上げ終わってから、後ろを振り向いたら多くの方が合掌して供養を捧げられていた。代表のような方が近付いて来られ「ありがとうございました」と頭を下げられた。

続いてギターを持った泉たくとさんによる、亡き生徒さんたちに捧げる演奏が始まった。
「本当にここで歌っても良いのですか?」と歌う前に彼は私に尋ねたが、慰霊供養のためにもこの地で歌って欲しいことを僕からもお願いした。

曲は生きる道を教えてもらった亡くなられた弟のような存在であった二十歳のいとこへの想いの「Buena Vista」というオリジナル曲だった。ご自身の歌声を信じて力いっぱい歌ってもらった。

熱唱中、僕はハンディーカメラを撮りながら、こぼれ落ちる涙と鼻水で前が見えなくなった。

終わったとたん冷たい雨が降ってきた。
何故だろう?いつ来てもこの地は風が強くて天候が荒れる。

また会おう。そして永遠に…。合掌


つづく

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