新年のご挨拶〜『鬼滅の刃』から説く鬼の心・仏の心〜

                      

あけましておめでとうございます。
旧年中はお力添えを賜り厚く御礼申し上げます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

 

昨年よりアニメ「鬼滅の刃」が大ブームを巻き起こしています。本作の時代背景は大正時代、主人公の竈門炭治郎は家族を鬼に惨殺され、唯一生き残った妹の禰豆子ですが、鬼の血が入り鬼化されてしまいます。炭治郎は大切な妹を人間に戻すため、修行をし鬼殺隊戦士となり鬼退治の旅へ…。 

 

大ヒットの理由として「コロナ禍の不安な世の中で、身近な人や自分自身がいつ鬼に豹変するかも知れない。誰が攻撃されても不思議ではない不安な社会背景にあるのでは」とある精神科医が指摘されています。 

 

仏教で鬼は様々な姿で現れます。インド神話にも登場する夜叉(薬叉)は、鬼神として人を食らう存在でしたが、人間に恩恵をもたらす面もあり、後に仏教に取り入れられ護法善神となります。

 

また、幼児をさらい食い殺していた鬼子母は、お釈迦様の手立てにより、可愛がっている一人の子を隠されたことで、子供を失う親の苦しみが分かり改心します。後に、『法華経』の「陀羅尼品」で鬼子母神は、十羅刹女と共に法華経の行者を守護する誓願が述べられ、日蓮宗では守護神として尊崇されています。

 

人間の心には鬼の心も存在すれば仏の心も存在します。日蓮聖人は「法華経の文字一字一字は生きた仏様であるが、私たち凡人の眼にはただの文字にしか映らない。例えば餓鬼にはガンジス河の水が火に見える。人にはそのまま水と見え、天人には甘露に見える。同じ水でも心の境涯によって異なって受け止められる」とご教示されています。

 

もはやこのご時世、誰がどこで感染しても不思議ではありません。感染者への差別や偏見は決してあってはなりません。
鬼の心ではなく、仏様の心で物事を見、人様に寄り添い、敬い合える世となるよう祈念いたします。

 

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令和2年大晦日…1人反省会

大変な年となった令和2年も残すところ数時間である。新型コロナウイルス、経済悪化、自然災害、猛暑…まさに天変地異の多難な年となった。

 

自己に目を向けるとどうだろう?

ここで今年の自分の取った行為を見つめ、1人反省会を行うとする。

良かった点…

ステイホームの時間が増えて、読書、勉強時間が取れた。5月に仏教講座で講師予定だったのが中止になったことで、備えて準備していたテーマについて自坊の機関紙号外として執筆した。

朝のお勤めの量と質が昨年までと違いかなり良くなった。

会合が極端に減り飲みに行くこともなくなり、早寝早起き習慣、規則正しい生活で体調の良さをキープできている。

 

 

悪かった点…

人との対話の機会が減り、思いが伝え切れない部分があった。

軽はずみな言動で同業者に迷惑をかけたことがあった。

コロナ禍故と内に向いてしまい積極性がなくなった。

Zoomなどオンラインを取り入れ、可能な限り参加するようにしたが、コミュ症があからさまになった。

 

反省の省の「省みる」とは、過去を考え振り返る。「省く」とは、悪い部分を取り除く意味があるとのこと。反省の先にはきっと成長と明るい未来があると信じたい。

 

「冬は必ず春となる」

先ずは早期の疫病退散を祈り、日本中、世界中の安穏を祈る。

 

来年が皆様にとって明るい良い年となるよう、お祈りする。

 

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日蓮聖人が描かれている『来襲』を読んで

最近読んだ『来襲』という上下の長編歴史小説を紹介させて頂きます。

著者の箒木蓬生氏が、日蓮聖人のお姿や元寇がいか様に書かれているのか興味があり、購読しましたが、最後は涙なしには読めない、期待以上の小説でありました。

 

時は鎌倉時代、当時モンゴル高原及び中国大陸を中心に支配していたモンゴル帝国という強国が勢力を伸ばしていました。当時は「もうこ」や「むくり」と呼ばれ恐れられていました。

蒙古及び属国であった高麗によって二度にわたる日本侵攻を元寇、蒙古来襲と言います。

 

主人公は、安房の国の漁師であった見助、十五歳の頃に日蓮聖人に出会い、惹かれ、耳目として献身的な奉公の姿と成長が描かれます。日蓮聖人に託された目的地は何と元寇前の対馬でありました。

 

日蓮聖人は代表的著述『立正安国論』の中で、人々が正法である『法華経』に背くことで、外国からの侵略始め種々の災難が起こることを予言。

 

対馬で見助は、日蓮聖人の予言通り、蒙古来襲を目の当たりにします。長年にわたる日蓮聖人と交わされた手紙のやりとり、様々な人物との出会いと別れには心震わされます。

 

勿論小説ですので、史実とは乖離した部分もありますが、富木常忍など登場人物の姿にも目が離せません。

「もうこの世で思い残すことはない、あとは日蓮様の許に還っていくだけだ」と言える最期、日蓮聖人のお弟子、法華経信者として、そういう人生でありたいものです。

 

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師走‥走る師とは一体?

令和2年、早くも師走に入りましたね。


新型コロナの感染拡大が止まらず、ついに大阪ではステージ4に当たる赤信号が点灯されました。一体この先どうなるのでしょうか?

 

さて、師が走る12月、師がつく職業は沢山ありますが‥ここで言う師とは、僧侶だそうです。

「12月に坊さんがなぜ走る???」

 

僧侶のことを法師【ほうし】【ほっし】という呼称があります。人々に法を伝え、人の師となるべき存在だからです。

 

平安時代に貴族の間で「仏名会」と呼ばれる法会があり、一年間の罪障消滅をしてもらう為にあちこちから僧侶に声がかかり、貴族の邸に祈願に行くために走りまわったからという説があるようです。

 

12月は僧侶に限らず、どうしてもバタバタしますし慌ただしくなりますね。

 

感染拡大の中、今まさに大阪などは医療がひっ迫しており、特に医療従事者の方々は大変な中、仕事をされています。今年の師走は医師や看護師さんこそ師走に相応しいのではと思います。

早く安寧な世が訪れることをお祈りします。合掌

京都本山での勉強会に参加した

法縁と言って仏法で繋がる縁、昔の学閥、一門です。即ち縁故の寺の集まりです。当山が属する縁頭本山が京都本山妙覺寺です。


大河ドラマ麒麟がくる」で毎回のように登場する歴史ある妙覺寺さんは、斎藤道三の出家得度、織田信長が定宿にしていたお寺です。

 

5年前の私の入寺式の際、妻とご挨拶に行かせてもらったのがきっかけで、月例勉強会に参加させて頂くことになりました。

昨日は9月に引き続き、妻と参加しました。

 

中国の天台大師の法華三大部の一つ「摩訶止観」という注釈書の講座ですが、難解な天台教学の講義ではなく、寺族も受講できるような人生の指針などが学べる内容になっています。

 

有限である人生、コロナ禍において、孤独を感じている人が多いかも知れませんが、改めて人との関わり方、言動、社会活動についても考えさせられました。

 

紅葉が美しくて、写真に収めました。

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緊急事態宣言の解除と甲子園中止に関しての考察

関西三府県で緊急事態宣言解除で一気に収束ムードになってきた。果たしてこんな前のめりで良いのか?

感染者数は確かに減っているが、気の緩みが怖い。

第二波は、秋冬に来るという専門家もいれば、近いうちに来るという見解もある。

 

でも、社会経済活動をこれ以上の期間止める訳に行かず、日々の生活がかかっている方にとっては、気を緩めてもらわないことには成り立たない。


寺院の活動としても、行事や法務のあり方をどうすべきかも考えていかなければならない。当然、命と安全を守ることが前提にある。

 

話題は変わるが、夏の甲子園が早くも中止と決まった。

無観客試合にした所で、移動や宿舎での集団生活の中で、選手や関係者の命と安全を守る為には、致し方ないが、戦わずして甲子園出場の夢が絶たれる現実‥。特に3年生の気持ちを慮ると気の毒でならない。

 

選抜高校野球は、大会の2週間前に中止が決まったことで、出場予定だった選手も、ギリギリまで考えてくれたという気持ちもあっただろう。

夏の大会も決断を下すのは、来月くらいでも良かったのではないだろうかと思う。決定日の数日前には中止の方向でと、報じられていたのも腑に落ちない。球児への配慮があって然るべきだと思った。

 

甲子園は特別で夢の舞台である。

大人が知恵を絞り、独自の地方大会を行うこともさることながら、選抜大会出場予定校も含めて、最後に1試合でも出来るよう救済措置を出して欲しい。

 

最後に‥辛く悲しい経験が、新たな目覚めに繋がるきっかけとなると仏教(法華経)でも説かれる。乗り換えることで今後の人生の糧となるはず。

 

 

 

 

我慢と自粛警察

コロナ禍の中、緊急事態宣言が延長されました。

引き続き、更なる我慢が強いられます。


我慢という言葉は、元々仏教用語であり、普段私たちが使っている我慢とは意味が異なります。

 

仏教で慢は、他者と比較して自らおごり高ぶり、過大評価することを言います。
慢は七慢に分けられていまして、その中で代表的なものが我慢、邪慢、増上慢であります。

 

我慢は、自負心の強いうぬぼれの心
邪慢は、徳がないのに他人を凌ぐこと。
増上慢は、悟ってもいないのに悟ったと思っていることです。

全ては慢心から生まれる我への執着であります。

 

今まさに、不安や恐怖心が蔓延し、イライラや怒りが生じ、あちこちで醜い対立が起こっています。

 

自粛警察と言われる私的な取締りを行う一般市民が増えています。

正義感を振りかざして、外出自粛や営業自粛に応じない人や店舗に対して、監視の目を光らせ、通報したり、ネット上に晒したり、張り紙をしたり‥

 

要請に従っている自分の行いは正しく、従わない人は全て悪と見做す考えは、正義感に酔っている状態で、自負心の強いうぬぼれそのものです。

 

仏教は因果を説きます。人の心や行動が反映された結果が環境となります。

故に苦から逃れ、利を求め、自粛をしないという行動も他者や環境に影響を及ぼします。

1人1人が慢心をなくすし、現実から目を背けず、調和と平和を目指すのが仏教です。