仏教から社会を読み説く「桜田五輪担当大臣の発言」

桜田五輪担当大臣が、白血病を公表された競泳の池江選手について、「本当にがっかりしている」などと語ったことが問題になっている。

大臣は「治療に専念して、元気な姿を見せてほしい」と気遣う言葉も述べているので、全文を確認せず切り取ったと、マスコミに対しての批判もあるようだ。

それでも「がっかり」という言葉は、期待をしている方、国民を何がっかりさせてしまって、悪かったと思わせてしまう。

池江選手の立場を考えると、配慮のない言葉に違いない。

大変な病を患い闘おうとしている患者さんにとって、いくら元気な姿を見せて欲しいと言われた所で、少しでも嫌な感じと受け止められたらそれは使うべき言葉ではないということだと思う。

 

その前の麻生大臣の「子どもを産まなかったほうが問題なんじゃないか」との発言もそうだが、配慮のない失言を繰り返す人は、心の深層に染み込んでいるから、公の場であっても自然に言葉が出てくるのだと思う。

 

仏教では唯識という思想があって、怒り、嫉妬、絶望、失言などは全て心の深層部の仕業とされる。

心には意識できる表層部分だけでなく、その下に阿頼耶識【あらやしき】と言われる深い層があり、意識せずとも、これまでの経験によって形成されていくのだ。要するに、今までのその人の行為の積み重ねが阿頼耶識に付着し溜まっていくのである。(唯識では薫習【くんじゅう】するという)

 

特に大臣ともあろう人は、周りの環境を良くし、良い心がけ、言動を意識してもらいたいものだが‥