熊本訪問記 最終章

城造りの名人とも言われた加藤清正公、彼が築いたのが日本の名城の1つ熊本城である。この度の熊本地震では、熊本城の石垣が崩れしゃちほこも崩落した。 崩れた石垣を目の当たりにすることで、激震の破壊力をまざまざと感じた。

熊本地震は熊本のシンボルだけでなく、多くの建物を破壊し、山を崩し、そして尊い命までを奪った。熊本の皆さんが口々に仰るのは、途轍もない激しい揺れだったということ。証言からも想像を遥かに超えた激震だったことが分かる。

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翌日は南阿蘇村を視察した。車窓から目に飛び込む風景に思わず見惚れてしまった。美しい大自然の山々に囲まれた何とのどかな場所なのだろうか。

阿蘇くじゅう国立公園内には、東海大学阿蘇キャンパスがある。震災により学生さんの若い命も奪われた。

周辺の山々の山肌があちこちで大きくえぐられていた。大規模な土砂崩れがあったことが伺える。この辺は火山灰が堆積しており、地滑りが起こりやすいと専門家のお話にもあった。

民家の近くまで車で行った。周辺は閑散とした雰囲気で、廃墟と化したという表現は相応しいかどうか分からないが、どなたも住まれていない様子であった。いや、避難を余儀なくされているのだ。
地震により軒並み倒壊した建物が目に映った。学生さんが居住されるようなコーポのような建物もあり、多くの建物が一階部分が二階部分に押し潰されるように崩れていた。

そこで家財道具を軽トラに積まれ、運ぼうとされていた住民らしきお2人の女性が近付いて来られた。挨拶を交わし少し立ち話。彼女たちは近くの避難所におられるとのこと。発災当初は、阿蘇大橋なども崩落し道路も寸断したことで、孤立状態だったと仰っていた。そんな中、大阪や神戸からもボランティアさんにが来られ大変有難かったという言葉が印象的だった。

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私は東日本大震災被災地、東北へは何度も訪れた。皆さん仰ることは現地に来て頂きたいということだった。その言葉を言い換えるなら「忘れないで」「少しでも関心を寄せて欲しい」ということなのだ。

今回の滞在時間は僅か27時間だったが、その中で現状を見て、お話を聴き、空気に触れ、色々なことを知った。テレビのニュース報道を観ても、ネットの記事を読んでも知り得ないことが沢山あった。

別れ際に現地の方に「また来ます」とお伝えすると笑みがこぼれる。
忘れないでいることが、復旧・復興への歩みに繋がる。関心を寄せることで、自然と情報を手繰り寄せることができる。災害はいつ何処で起こるか分からない。明日は我が身でいつ救助される側になるか分からない。「自分が被災したら」ということを考え行動することが、この国に住む全ての人に求められているのではないかと思う。

おわり