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チェルノブイリ原発事故から30年目の日に訪れた場所で‥

大学院時代の仲間が文学博士の学位を目出度く授与されたことで、先週は東京目黒でお祝いの集いが仲間うちであったので参加させてもらった。大阪で法務を終え新幹線で駆けつけたので、開宴ギリギリセーフとなった。学問の専門的な話はそこそこに、懐かしい話に花が咲いた。

翌日は東京で少し時間があったので、練馬区江古田にあるギャラリー古藤(ふるとう)での貝原浩さんの原画展『チェルノブイリからフクシマへ 風しもの村』を1人で観に行った。

東京に行く前、たまたまツイッターのタイムラインで展示情報を知った。宿泊先だった大森のホテルからは少し遠かったが行って見ようと思った。

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貝原浩さんはチェルノブイリ原発事故以降、子供たちへの医療支援活動をされていた日本チェルノブイリ連帯基金の方々と1992年にベラルーシを訪れたそうだ。絵描きとして自分に何ができるのかという問いかけから、その思いを描き上げたとのこと。

2005年に57歳の若さで永眠しておられるが、今尚作品を通じ生き続けているのだと思う。

展示作品はチェルノブイリの町並み、村人たちの表情がリアルに表現されていた。
老人に刻まれた皺の一本一本が、無邪気な子供たちの表情が、そして廃村となった「埋葬の村」の閉ざされた家々の様子が印象的であった。

絵画一枚一枚に書かれた手書きの解説によって更に現状がよく伝わる。

販売されていた貝原浩画文集『風しもの村』を迷わず買った。
「風しもの村」というのは、風向きの悪戯で、死の灰が集中的に降ってきた場所を意味することが分かった。尚、この画文集は2010年に初版が発行されている。東日本大震災発生の前年であった。

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本の帯文を書かれていたノンフィクション作家の柳田邦男さんが受け止められたこの文章が私の中で腑に落ちた。
スケッチの作品集は「単なる悲惨さだけでの提示ではない。放射能汚染という終末的状況に投げ込まれても、小さい単位の小さな暮らしの営みによって、再生の道を探り生き切ろうとする、土に生きる人間への讃歌」

「人間、暮らし、再生」は福島においても大きな課題であり、強いメッセージとなって行くであろう。

放射能による人類の負の歴史は、広島と長崎、そしてチェルノブイリから福島へと繋がってしまった。特に日本人にとっては、この悲劇から目を背けることなく向き合い、次世代へと伝えなければならないと思う。

奇しくも、4月26日は、チェルノブイリ原発事故から30年。(ギャラリーの方から知らされるまで知らなかった‥)展示の最終日でもあったその日に私が訪れたのは、偶然だったのでなく必然の結果として何らかのメッセージだと感じ取った。

最後に一言、私はフクシマというカタカナ表記にはやはり違和感が拭えない。


追伸 〓 ギャラリー古藤の女性スタッフとお話させてもらっている中で、私の親戚が江古田ユニバースという、アートの町を目指した企画をされ、その地に貢献されていたことを知りました。親戚の活躍は嬉しくもあり、刺激にもなります。何かとご縁を感じた江古田の訪問となりました。