大阪チャリティー被災地訪問記 〜第5話〜「閖上地区と大川小学校での祈り」
7月18日、西日本を上陸した台風11号による大雨から逃れるように、仙台に向かうことになった。
震災以降、仙台空港に降り立つのはこれで7回目。
初日は祈りを中心にした行程を組んだ。シンガー泉たくとさんが出来る祈り、僧侶の私が出来る祈りは、形は異なるが想いは同じ。だからこういった活動が一緒に出来るのだと思う。
レンタカーで先ず、向かったのは仙台空港近郊の名取市閖上地区。
我々は日和山という標高僅か6メートルの小高い丘を目指した。そこは、漁師さん達が漁港や海上の様子を見るために造られたと言われる。大震災による津波によって、そこにかつてあった社殿は流出した。近くの瓦礫から神社の残骸や道具で社殿が建立され、鎮魂の社として多くの参拝者が訪れる慰霊の場所でもある。
お題目が書かれた卒塔婆も建てられていたので、袈裟衣を着けた私はその前で慰霊供養をさせて頂いた。
閖上地区というのは平坦な土地が大きく広がる。その中にあって全方向を見渡せるこの日和山。あの日、多くの方がこの付近でこの地区で犠牲になったことを忘れてはならない。
その後、石巻市立大川小学校跡地へと移動した。
夏の大川小学校、校庭に照り返す強い日差しの中、ひまわりが太陽に向かって鮮やかに咲いていた。生徒さんたちの元気な面影と重なり合う‥。
私は「大川小学校学童犠牲者之霊追善供養」と書いた経木を建て、お水をお供えし、読経、慰霊供養をさせて頂いた。
続いて、ギターを持つ泉たくとさんの弾き語りが始まった。オリジナルソング『祈りのうた』
その時、北上川からの風が吹き荒び出した。いつもの大川小学校だった。
泉たくとさんの「もし君に伝えられるなら、もう一度正しい愛を伝えたい」という歌詞に祈りが込められていた。
むき出しの崩れた教室に向かって、祈りのうたが届けられたと思う。
またこの場所で会おう。