日本列島が強い寒気に覆われた11月13日、宮城県塩竈市で開催された東日本大震災慰霊・復興 海施餓鬼法要に出仕した。主催は大阪伝法川施餓鬼奉行会、支援に日蓮宗大阪市宗務所。
震災後、私にとってこれが8回目の被災地訪問になったが、海施餓鬼法要には初めて参加させて頂いた。当行事は、2011年から毎年この時期に開催されており、大阪管内の僧侶中心に多くの有志が出仕されている。
4回目の今年、大阪からは20数名の参加。被災三県の宗務所長様お三方も来られた。
塩竈市 「いな長」さんという割烹料理店の大広間をお借りし、奥邨猊下大導師のもと厳粛な中に始まった施餓鬼法要。
その後、お題目を唱え、行列しながら塩竈港のマリンゲートへ向かう。愛媛県からも団体さんが集まり万灯行列…。聞くところによると毎年この日に合わせて参加されているそうだ。本当に頭が下がる。
チャーターされている「あすか号」に乗り込み、塩竈港から出港。
水溶性のお曼荼羅、経木を自ら海に流されている奥邨猊下の姿を見て胸が熱くなった。大津波に飲み込まれ、この大海原で命を落とした多くの無辜の御霊への鎮魂。
1万5000人をはるかに超える遭難者。未だに行方不明者は2633人(今年の3月現在)となっている。
冷たい風が吹き荒ぶ中、フェリーの最上部で慰霊供養と諸霊への鎮魂が行われた。読経と修法の大音声と木剣が響き渡る。私も合わせて読経に祈りを込めた。
船体は大波で大きく揺れていた。
翌日は、宿泊した有志僧侶7名で、名取市閖上地区へ向かった。
閖上と言えば、名取市のほとんどの人口が集中していた地区で、震災前は活気があった街が跡形もなくなり更地と化してしまっている。「閖上の悲劇」とも言われ、この地区だけで800人超が犠牲になった場所である。
我々が目指した湊神社がある6m程の小高い丘の上には、南無妙法蓮華経と書かれた卒塔婆が…。そこで一読し慰霊供養を行った。その後、そばの公園に建てられた慰霊碑に移動し各々が手を合わた。
震災から3年8カ月…。復興が前に向いて進んでいないのは、住民と行政の間で様々な隔たりがあるからだと聞いている。それは被災地全体が抱える大きな問題である。