東日本大震災から9年〜復興五輪なのか?〜
3月11日は東日本大震災から9年の祥月命日だった。
童話作家の宮沢賢治の『雨ニモマケズ』には、苦しんでる人がいるその地に「行って」看病し、助け、声をかける姿が綴られている。
本来なら、この日は現地で祈りを行うべきかも知れなが、叶わず今出来る慰霊供養を自坊で行った。
9年経った今、福島、宮城、岩手の被災三県の復興はどうなのか?
震災後49日目から昨年の7月まで、何度も訪問して来たが、賑わいを取り戻し、人々が安穏に暮らせるようになるのが復興とするなら程遠い‥。特に福島は原発事故があったことで大きく遅れている。
新型コロナウイルス感染拡大している今、開催出来るの?と言われている復興五輪を掲げる東京オリンピック、予定通り聖火リレーが東北の被災地でも行われるようだ。
例えば、福島県双葉町で聖火ランナーが走るコースは、整備された駅周辺とのこと。
帰還困難区域は、9年前から手付かずの街、住宅、学校がある。それらの区域は時間が止まったままの状態である。
復興とは程遠い状態を敢えてテレビカメラには映さないのだろう。
余談だが、先日の3月11日の午後2時46分、被災地で多くの方が目にしたのは架け橋のような美しい虹だった。あの虹を目の当たりにしながら、大切な亡き方を思い出しておられた方も多かったのでは‥。
希望の橋となることを祈る。
新型コロナウイルスと三毒 〜心の消毒を〜
新型肺炎コロナウイルスが猛威を振るい、収束の見込みが立っていません。
今まさに世の中は毒に侵されていると言えます。
毒というのはウイルスのことではなく、「貪瞋痴」(とんじんち)と言われる三種の心の毒のことであります。
仏教では三毒と言われ、「貪=むさぼり」「瞋=いかり」「痴=おろかさ」であります。
これら三つの毒が、私たちを苦しませ、悩ませ、惑わせる根本原因となるのと仏教では説かれています。
取り分け「いかるは地獄」と日蓮聖人も仰るくらいに、怒りの心は、猛毒を人の体内で作り、その猛毒を外に排出し、喧嘩や暴力、果ては戦争を生み出す要因となります。
マスクやトイレットペーパーを貪り、あちこちで喧嘩や愚痴が発生しております。愚かさは物事の道理を知らない無知、すなわち目が見えていない無明であり、迷いの根本原因ともなります。
今まさに国・政府が迷い、多くの人々が貪り、怒っている状況と言えましょう。
コロナウイルスの消毒は勿論のことですが、心の三毒を消毒しなければなりません。
一声かける優しさ、他者への気配り、慈悲の気持ちが世に溢れて行くなら、少しずつ消えて行くはずです。
阪神淡路大震災から25年〜新長田へ〜
あれから四半世紀‥。
1月17日、阪神淡路大震災から25年の月日が流れた。
夕刻、私は5年前にも訪れた長田区に向かっていた。
キャンドルが灯されていた新長田駅前広場、皆共に亡くなられた御霊に対し祈りを込めて‥合掌
「大正筋商店街」は地震直後に大規模火事が起きて、店舗のほとんどが焼けた。
その日、商店街では復興イベントが行われており、お笑いタレントのまっちゃんこと松村邦洋氏のモノマネや、ご当地アイドル?の歌などもあり賑わっていた。
午後5時46分にはお話が中断され、一同が黙祷を行った。
一方で、近くの住商型のビルは5年前に来た時もそうだったが、シャッターが閉まり、人もまばらで寂し気だった。
震災後に建設されたビルや商店街はどれも一見近代的で復興を遂げたようにも見えるが、実際のとことろは復興は道半ばで課題が多くあるようだ。
令和元年大晦日に「反省とは」
令和元年大晦日‥。
今年も沢山の出来事がありましたね。皆様にとっての今年の重大ニュースは何でしょう?良かった事、悪かった事、様々だと思います。
国内ニュースに目を向けますと、何と言っても元号が平成から令和にかわり、新天皇が即位されました。
消費税が10%に引き上げられ、軽減税率が導入されました。
台風15号、19号始め、豪雨の被害が相次ぎ、河川の堤防が決壊するなど大きな被害をもたらし、多くの方々が亡くなられ被災されました。
スポーツでは、日本開催のラグビーワールドカップで日本チームが史上初のベスト8に進み、大いに盛り上がりました。
個人的には、7月に東日本大震災の東北被災地を訪問させて頂き、仲間と再会しました。同月に久しぶりの海外、台湾旅行で台北に行きました。
8月に可愛がってもらった義理の父が亡くなりました。
お別れもあれば、久々の懐かしい再会もあり、新たなご縁も生まれました。反省すべき点も多くありました。
勿論人間は有情ですので、心があり反省が出来ます。では犬も反省出来ると思いますか?
「反省」の省の語源には、自分の行為を見回という意味があるそうです。
訓読みの「省みる」とは、過去を考え振り返る。また「省く」とは、悪い部分を取り除くのです。
仏教では懺悔と言って過去を振り返り、悔い改める事が大切であります。令和2年が良き年になりますようお祈り申し上げます❗️
お香典とお焼香について
近年の簡素化傾向にある葬儀でよく見かけるのは、お香典の辞退です。故人の意向もさることながら、香典返しなどの負担が理由であったりします。香典は香奠とも書きます。奠とはすすめる、そなえるという意味があります。
本来なら御霊前にお供えするのはお香ですが、その代わりとして、お香を買う代金ということになります。
ですから、参列者のお香のお供えを事前に断っているということにもなります。
それでも、参列すればお焼香は行うことができましょう。
時々聞かれるのは、お焼香の回数は1回か3回かどちらか?
経典には回数の指定はございません。宗派によって多少違いもあるようですが、大体1回から3回です。一仏乗、主香と従香、仏法僧の三宝、心口意の三業など様々な伝わり方があるようです。
お焼香の際は、亡き方に対するお焼香は勿論ですが、ご本尊(仏様)に対して一礼合掌し、お焼香を行うことが大事です。
礼儀として、お焼香を行う前後に、遺族にも一礼、導師より前方でお焼香を行う際は、導師にも一礼するのがお焼香の際の立ち居振る舞いと心得ておきましょう。
元気だからこそ戒名を!
生きているうちに「戒名」を!
と勧めると、「縁起でもない。まだまだ元気なのに‥」という方が必ずおられます。
戒名とは亡くなった人に付ける名だと思われている方がいると思います。戒名の戒とは仏教の戒律の意味であります。
仏道修行の一つに持戒があります。戒律を持つことですが、分かりやすく言えば仏教徒として生活規範をしっかり守ることです。
日蓮宗では、お題目を受持することこそが、戒律を持つことになります。法華経「見寶塔品」の最後、「此経難持」から始まる経文には、「是を戒を持ち…無上の仏道を得たり」と説かれます。『法華経』を持つことが仏道を得ることになります。
ですから、『法華経』を信じ、お題目をお唱えされている檀信徒の方々は、生前から既に持戒者でありますので、改めて授与するのは戒名ではなく、法号と言うのが教義的に相応しいとされます。
ここ最近は、葬儀の形態が簡略化され、通夜や葬儀を行わないゼロ葬や、戒名も不要であるという方もおられるようです。喪主や遺族の意向が大きく反映される傾向にあるようです。
み仏の弟子、または仏教徒としての証である法号(戒名)がなければ、成仏の保証はあり得ないと心得るべきです。
逆修法号(戒名)と言って、生前に付けられる方もいらっしゃいます。逆修には、あらかじめと言う意味があります。
『法華経』に説かれるように、お釈迦様もお弟子に成仏の保証を生前に与えておられました。