無事にお彼岸の行事 〜先ずは臨終の事をわきまえる〜

9月23日は秋のお彼岸のお中日、台風の影響で天候が心配されましたが、大きな困難もなく、行事を無事に終えることができました。これも仏祖三宝は元より、有縁の方々のお陰であります。

 

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法要前には、先日「ゆいごん白書」認定講師の資格を修得したばかりの妻にお話をしてもらいました。
ゆいごん白書とは、普通のエンディングノートではなく、今の自分を見つめ直し、更に今後人生をどう生きて行くかを改めて見直す為に、自分も遺された方も安心できるよう、大切とされる全60項目の内容を講師指導の元、共に考えていくものです。

 

「まずは臨終のことを習うて、後に他事を習うべし」と日蓮聖人も、人の死というのは世の習いであるから、先ずは臨終のことをわきまえてから、他の事を学ぶべきであると説かれているのです。

 

この世に生を受けた以上は、死は避けては通れない。

無常こそ仏教の根源ですから、しっかりと向き合っていかなければなりません。

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『私たちの暮らしとゴミ問題』研修会、伝えていくこと!

昨日は日蓮宗大阪市社会教化事業協会主催第1回研修会が開催され、『私たちの暮らしとゴミ問題』について、フリーランスのアナウンサーで、認定特定非営利法人 環境市民副代表の下村委津子氏をお迎えし、貴重なお話を頂きました。

印象深かった内容のシェアと、感想を述べさせて頂きます。


30年に1度の異常気象が近年1年に1度のペースで起こっている現状があります。甚大な災害は今どこで起こるか分かりません。

紛れもなく環境破壊が、今まさに国内のみならず国際的にも大きな問題となっています。

温暖対策の新しい枠組みパリ協定。世界各国の地球温暖化に対する関心も高まっていますし、足並みを揃えないといけません。

 

食べ残しや賞味期限切れ商品の廃棄など大量の食品ロスの裏では、飢餓も同時進行で起こっています。世界には飢餓に苦しむ栄養失調の子供さんが沢山いることをよくよく考えなければなりません。

 

ペットボトル、レジ袋の消費、総じてゴミの量をいかに減らすことが出来るか?私たちに課せられた大きな課題であります。

缶ビールではなくて、リユース出来る瓶ビールを選ぶとか、レジ袋をもらわずにマイエコバッグにするとか、出来ることは沢山あります。

1人1人が意識し実行しなければ、減ることはないでしょう‥。

 

買う時はゴミが出ないような商品を買うとも大切ですが。売る側も目先の利益ばかりを考えるのではなく、その先にある環境問題を考えて欲しいものであります。


エシカル消費とは、倫理的に、道徳上、社会的にも、人体・環境への負荷、社会貢献などを重視して生産された商品やサービスを選択的に消費する行動及び理念。

資源は長く使うこと、姿形が変わっても役割を変えながら使い続けることが求められます。


地球を守る為、人々の尊い命を守る為、先ずは1人1人が意識してゴミ量を減らし、食品ロスをなくすことから始めなければならない!それを1人でも多くの人に伝えて行くことが大切であると思いました。

学びの多い素晴らしい研修会となりました。

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令和元年 東北訪問記 〜大船渡市、気仙沼市〜

宿泊は大船渡プラザホテル、元々当ホテルは大船渡で最も津波被害の大きかった場所にあって、三階まで浸水し大きな被害を受けた。その後、急ピッチで復旧し再開された。私は2012年、2014年には旧プラザホテルに泊まった。

そして2016年に別の場所に移転し、リニューアルされた大船渡プラザホテルが完成、昨年に続き今回も選んだ。2012年にはホテル周辺には殆ど何もなかったが、今ではホテルの周辺に復興市街地として飲食店などが並ぶ。

夜は周辺のバーで、楽しい時間を過ごさせてもらった。

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翌日は午前中に陸前高田市立図書館を訪問後、気仙沼に向かった。
気仙沼森のコテージを訪問、オーナーの伊藤雄一郎さんと再会、これからの気仙沼、東北全体のことを本気で考えておられる活動家である。

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その後、伊藤氏に教えて頂いた、東日本大震災の記録と津波の災害史が常設展示されているリアスアーク美術館を見学した。

 

2011年3月11日の震災直後から、学芸員が中心となって、約2年間にわたって震災被害記録、調査活動が行われた。その間に撮られた数多くの写真や被災物を中心に展示されている。

写真1枚1枚に綴られた思いのこもったメッセージ、美談や悲劇を取り上げて伝えるテレビ報道などとは異なり、起こったありのままの現実を後世に伝承しようとする意志が伝わってくる。更には防災減災を考えながら、命を守る為の行動が分かる展示だった。

沢山の思いが1つ1つの展示に込められており、言葉では語り尽くせない。

行かれたことない方は、是非足を運び見て感じてもらいたい。
フライトの時間があり、1時間しか滞在できなかったが、全く足りなかったので、また来館しようと思う。

 

今回は1泊2日の限られた時間だったが有意義な訪問となった。行動、継続、忘れない‥

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令和元年 東北訪問記 〜釜石市、陸前高田市〜

9月に日本で開催されるラグビーワールドカップ、会場の1つになっているのが釜石市の釜石鵜住居復興スタジアムである。先日仮設スタンドが完成し、急ピッチに最終工事が進められていた。

復興スタジアムの場所は、津波で甚大な被害を受けた鵜住居小学校、釜石東中学校の跡地。裏山などの高台に各自てんでんばらばらに避難するようにという指導もと、釜石の奇跡を生んだ場所でもある。

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しかしながら、現地の方からの声には、「津波てんでんこ」には賛否がある。家族にも構わずとにかく自分の命の守るために避難するということが、利己的な考えに感じるのだろう。

現地でもラグビーファンは多く、楽しみにされている方は多いが、周辺の宿泊施設や飲食店などは充分とは言えず、心配する声もあった。

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夜は陸前高田市の鶴亀鮨さんに行き、美味しい寿司を頂いた。

昨年夏に仮設店舗からついに本店舗がオープンした。2014年以降、仮設店舗へは毎年のように行かせて頂いたが、本店舗へはこの日が初めてだ。

阿部大将の情熱と人情味が大いにあふれる。それが有難いほどこちらに伝わってくるので、必ず会いに行きたいと思える鶴亀鮨の大将だ!

 

この日も埼玉から来ておられた元消防士の宮崎さんという方をご紹介頂き、フェイスブックでも友達になって頂いた。

また、その日は陸前高田市立図書館の元館長の菅野祥一郎先生とご一緒させて頂いた。こちらから、お手紙を事前にお出してお誘いさせて頂いた。

菅野先生には、仮設図書館だった頃に何度か訪問した際、講演などして頂きました。この日は久々の再会で様々なお話しをさせて頂きました。

仲間との再会の場となった。

 

震災後に繋がったご縁‥これからも大切にしたい。

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令和元年 東北訪問記 〜花巻市〜

童話作家宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の詩の中に「行ッテ」という表現が三度出てくる。大変な状況下に置かれた人、不安を抱えた人の所に行って救いの手を差し伸べるという理想の行動が示されている。


まさに『雨ニモマケズ』は、行動の手ほどきとも言え、東日本大震災が起こった当初、私は何度も読み返した。あれから8年4カ月程が経過した。


今回は1人で岩手県を中心とした東北被災地への訪問、花巻空港を始めて利用した。一泊二日という限られた時間の中での動きとなる。

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花巻市と言えば、野球が盛んなイメージがあるが、何と言っても宮沢賢治の故郷である。
空港近くにある宮沢賢治記念館はファンにとっては外せない場所。到着後直ぐに向かった。先ずは童話村へ、賢治の学校で宇宙銀河の世界など宮沢賢治のファンタジー世界を体感。

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熱心な『法華経』信仰者として、多くの作品を世に残し、世界全体の幸福を祈られた宮沢賢治


昼食は隣にある山猫軒というレストランで‥
宮沢賢治の童話、『注文の多い料理店』の山猫軒が再現されたレストランがあったのだ。
「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」
山猫に食べられなくて、無事に店から出られて良かった!

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その後、最近前線が開通した釜石自動車道を使い、釜石市へ移動した。

防災学習と天王寺界隈散策

賛助会員のアジア協会アジア友の会主催の「南海トラフ地震への備え」と題して阿倍野防災センターでの体験イベントに参加した。

 

6、7年前にも、日蓮宗の社教会主催の研修会で訪れたことがあるが、防災学習は繰り返し学ぶことが大事。昨年も大阪で地震や台風の災害が起こったように、毎年のように様々な地域で災害が発生し、情報も更新されている。

 

震度7を起震装置で体験したり、火災現場で煙の中を低い姿勢を取りながらの避難訓練であったり、南海トラフ地震を始め、大阪で起こりうる災害被害を想定し、実践的な体験学習が出来るのがこのセンターの特徴。

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その後、天王寺界隈をミニウォークツアー、会員スタッフの方に案内して頂いた。

 

ご存知、飛田新地は旧遊郭の地として有名だが、元々難波新地にあった遊郭が、明治45年のミナミの大火で焼失したことから、飛田新地が誕生したそうだ。

 

宴会で行かれた方もいらっしゃるかも知れないが、一際目立つ古い建物「鯛よし百番」がある。大正期に建築された遊郭で、豪華絢爛な内装、美術は国の有形文化財に登録されている。現在は予約のみの料亭として営業されているとのこと。

新地内での写真撮影は、肖像権侵害でトラブルになる場合もあるとの事なので、一枚もシャッターは切れませんでした。

 

嘆きの壁が現在も一部残っているが、遊郭時代、遊女が逃げ出さないように周りに壁が築かれた。

新地エリアを一歩出れば、近代的なマンションなど多くある。光と陰の部分がまざまざと感じられた。

 

飛田新地の近くには、黒龍神社、天龍神社、白龍神社がある。ガイドさんによると、飛田新地一帯が戦火から逃れる事ができたのは、龍神さんの守護があったという説が‥。なお、白龍神社は飛田新会館の前庭にある。

 

最後は、一心寺に行った。大阪ではかなり有名なお寺だが、他宗ということもあり、実は初めて境内に入った。

境内には禁酒の神様が祀られている。徳川家康四天王寺本多忠勝次男、本多忠朝の墓がある。忠朝は深酒で身を誤り、最期は大阪夏の陣で討ち死にした。酒封じのしゃもじには祈願が書かれていた。苦しむ当人や家族の禁酒への祈りの数々、本当お酒は怖い‥

 

飛田新地からスタートし、ジャンジャン横丁、最後は一心寺‥。大阪のディープな場所を案内頂き、大阪人なのに知らないことばかりで勉強になった日となった。勿論防災に関しても‥。

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令和の幕開け〜平和で優しさに満ちた世になるよう祈る〜

新しい時代の幕開け、令和元年の元日の歴史的な日を迎えると共に、本日新天皇陛下が即位された。

国内は改元の祝賀ムードが漂う。

誠にお目出度く、心よりお慶び申し上げたい。

 

有名な神社や仏閣では御朱印帳を求め、長蛇の列ができた。うちは残念ながら、御朱印を求める参拝者はなかったが‥(笑)

 

平成日本は、戦争こそなかったが、第二の経済大国からの脱落、そして阪神淡路大震災東日本大震災始め、幾多の自然災害に見舞われた時代でもあった。


令和の令は、令室、令息、令嬢など相手に敬って使う意味がある。

さらに令は頭上に頂く冠を正し、人々が跪いて神仏のお言葉を聴くという意味から生まれた漢字でもある。和は和平の和、和合の和である。

 

令和の世が平和で優しさに満ちた明るく良き時代になることをお祈りする。

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