石井光太著『遺体 : 震災、津波の果てに』を読んで

東日本大震災からちょうど2年後に『遺体 : 明日への十日間』という映画を観たが、原作は初めて読んだ。

舞台は岩手県釜石市。遺体安置所の関係者など多くの証言から筆者の視点で構成された渾身のルポルタージュは、震災発生から約3週間の壮絶な惨状が描かれている。

 

因みに拙僧は、震災から一年後に有志として釜石市を訪れ、日蓮宗仙寿院様での多くのご遺族参列の元、一周忌法要に出仕させて頂いただけに、感慨深く涙が溢れ出た。

 

6年前、津波によって破壊されたあの現場で、次々に増えていくご遺体を目の前にして、それぞれの持ち場で役割を担い全うされていた方々がいた。駆けずり回った自衛隊海上保安官消防団員、医師、歯科医、歯科助手、葬儀社、市職員、民生委員、僧侶といった方々の尽力があったことを忘れてはいけない。

 

そんな中で、ご遺体をご家族の元へお返ししたい、供養をしてあげたい、何とかしてあげたいという気持ちが本書から伝わる。特に優しく向き合っておられた民政委員で元葬儀社社員の千葉さん(映画では西田敏行が演じる)と仙寿院住職の芝崎さんのお二人が印象に残る。


最後に生きたいと願いながらも亡くなっていた方々、必死で救おうとしたが叶わなかった命があったことを何年たっても忘れてはならないと改めて思う。

原作も映画 もどちらも心打たれる作品になっている。

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映画↘️ 

https://youtu.be/6NrrCsbrpJQ

東日本大地震七回忌 〜6年目の想い〜

東日本大震災から6年目の祥月命日、仏事としては七回忌という大切な忌日である。

一周忌は、映画にもなった石井光太さんの『遺体』にも登場する岩手県釜石市の仙寿院様で行われた一周忌法要に出仕させて頂いた。

三回忌は日蓮宗大阪市社会教化事業協会主催で石巻市法音寺様、大川小学校などで慰霊供養を行い、陸前高田市立図書館にも訪れた。

今回は離れた大阪の自坊で法要、祈りを込めることとなった。現地に行けずに申し訳ない気持ちもあるが、たとえ1人であっても何らかの形で慰霊法要を行い祈りを捧げたかった。

昨夜は遅くまで、想いのこもった回向文の作成に取りかかり、その内容を分かりやすく現代語訳にしたものを実際に声に出し、祈りの気持ちを精一杯お伝えした。

以下は現代語訳である。

 

東日本大震災 七回忌の祈り

 

心より御宝前・仏祖三宝の御前において「法華経」を読誦させて戴き「御題目」をお唱えさせて戴きました。この功徳を、平成二十三年三月十一日に発生した東日本大震災で亡くなられた殉難物故者一切の諸霊に、めぐらし手向け、本日卒塔婆を建てて、七回忌の法要を行い、追善供養をさせて戴きました。

 

あの日、東北地方太平洋沖で発生した未曽有の大震災は、東日本の大地を揺るがし、大津波となって三陸沿岸部を襲いました。
その津波は人々を飲み込み、建造物を破壊し、沿岸部の町や市街地は悉く壊滅状態となりました。

 

そればかりか、東京電力福島第一原発に重大事故が勃発し、放射能漏れが起こりました。
これらはまさに、未曽有の国難とも言われます。

 

多くの尊き命が失われがました。また未だ行方の分からない方もいらっしゃいます。
愛する人を亡くされた悲しみは計り知れません。

 

今ここに、亡くなられた方々の御霊を想い「法華経」の読誦、お題目の功徳によって、速やかに霊山浄土へ導かれることをお祈り致します。

 

お釈迦様は「法華経」で次のように説かれております。
「今人々が悩み苦しんでいる三界の世界は、すべて仏陀である私のものである。その中に住む生きとし生けるものは、すべて私の子供達である。しかもこの世界は、様々な困難や苦しみが待ち構えている。その中で、仏陀である私一人だけが、救いを示し、護っているのである」

 

苦しみから離れる教えこそが「妙法蓮華経」の法門であります。「法華経」の一文一句を聞いて、感動してこぼれ落ちるひとしずくの涙…。その功徳によって、迷いと苦しみから離れ、必ず仏となるのです。

 

被災された方々にとって、安心と明るい未来が訪れ、更に被災地が住民の希望に添える形で早期に復興しますようお祈り致します。
天の覆う限り、地上が続く限りのすべての地に、悉く平和と安穏が訪れ、人々が安心して暮せますように。 

 

仏様は、常に私たちのことを心から思い続けて下さっているのです。どのようにしたら、全ての人々をこの上ない仏道に導き入れ、速かに仏の身を成就させることができるであろうかと。合掌

節分と恵方巻きについて!

昨日は節分で、冬至春分の中間にあたり、暦では立春となりました。
神社仏閣などでは豆撒きの行事や星祭りの厄除け祈願と言った例祭が執り行われたことと思います。因みに自坊では明日5日11時から行います。

加えて節分と言えば、近年恒例になっている恵方巻きを食べること、一般の方々にとってはこちらの方が馴染み深いものになってきているかも知れません。
あるコンビニではノルマ化され大変と、悲鳴に満ちたバイトの方によるツイートも流れていたようですね。

 

恵方巻きの意味と起源を知ると、来年から買い方や食べ方が変わるかも知れません。

毎年方角が変わる恵方というのは、陰陽道の神様である歳徳神がおられる方角です。
歳徳神というのは、その年の福徳を司る神様で、方角はその年周りの十干によって決まります。今年は丁で北北西のようです。

歳徳神は、歳神様、正月さまとも言われ、神様をお迎えする為に、そもそも正月に門松を飾ります。因みにどんど焼きは、歳神様をお見送りする行事として、門松や正月飾りなども一緒に焼くようです。お盆に行うお迎え火送り火にも似ていますね。

いつしか福をそのまま呼び込もうと、巻き寿司の丸かじりが始まったとか…?
由来は諸説あるようです。


昭和初期に大阪の寿司屋組合が宣伝の為に行ったとか、オイルショック後に海苔の需要拡大を狙い大阪の道頓堀で早食い競争のイベントを行ったとか言われています。
また、ここでは具体的には書けませんが、昔大阪の花街などで、遊女や芸子に丸かじりさせ男性が楽しむお遊びが流行っていたとか…。


いずれにしても大阪が発祥のようでして、平成元年になって広島市セブンイレブン恵方巻きとして売り出されたのがヒットし、やがて関西や全国でも販売されるようになり、今に至るようです。

今も昔も罰当たりと言いましょうか、遊び感覚や商売が縁起担ぎと結び付いたという、まさに人間の煩悩の表れの象徴ですね。
果てして歳徳神さんは有名になって嬉しいのか、怒っておられるのか私は全く分かりません。

先代住職の三回忌が無事に終わる

大阪夏の陣の道明寺の戦いで戦死した槍で有名な武将、後藤又兵衛は、かつての主君であった黒田官兵衛の死後、三回忌法要が終わるのを待って黒田家を出奔しました。
父親のように慕った主君への後藤又兵衛の忠義が讃えられています。

 

亡くなってニ年後に迎える三回忌はある意味で大きな節目でもあり、特に丁重にご供養することが大切です。

余談ですが、死後ニ年後に三回忌を迎えるのは、数え年のように亡くなった時を既に一回忌として数えるからであります。亡くなって一年後だけは二回忌と言わずに一周忌とします。

 

28日は先代住職 龍昇院日宗上人の第三回忌法要を厳修させて頂き、多くのご寺院様を始め、総代・役員さんにご参列頂きお焼香を戴きました。

早いもので、先代住職が忽然として遷化され2年の月日が流れました。ここまで滞りなく無事に勤めさせて頂けたのも、お力添えを賜った多くの方々のお陰であります。


この日ご参列頂いたのは、先代が好きだった大切な仲間、先輩、友人、後輩、慕って下さった方々…。きっと喜んでいることでしょう。


今後は師父の遺誡を守り自分らしさを発揮し、内には給仕、外には教化活動を行い善行を積むことが何よりの供養となることでしょう。

三回忌が終わり、少しずつ羽ばたいても良いのかも知れませんね。主としてお寺の守りはしっかりと固めつつ。

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八尾市仏教会ついにデビュー

昨日は八尾市仏教会の総会並びに懇親会に初めて参加させて頂いた。

先代住職は副会長として、当会に影響力を及ぼし、かつまた、皆様と懇意にさせて頂いていたことがよく分かり、嬉しい気持ちになった。他宗のお寺さんとな交流も大切なこと。

 

総会後の意見交換会では、加登石材店さんより「今どきのお墓事情」ということで講義があり、当山も墓地経営をしていることもあり、興味深く聴かせて頂いた。

 

墓場離れは寺離れ、葬式離れと共に「三離れ」の一つでもあり、関連業界の中では深刻な問題となっているのは周知の事実。

 

埋葬方法は、樹木葬や散骨、宇宙葬など多種多様化時代でもあるが、当然石材店としては暮石を購入してもらうのが一番。

 

お墓を購入されない主な理由としては、子供に負担をかけたくないなど相続の問題、手入れの問題等があるそうだ。

 

高齢など何らかの理由でお墓参りに行けなくなり、お寺に墓守をしてもらい。経済的な理由から管理料がかからない永代墓など無理難題を持ちかける方も増えているそうだ。

 

県別データによると、一番お墓参りに行く鹿児島県が一番イジメが少ないという因果関係があるそうだ。

 

墓じまい、改葬が増えている昨今、お寺側としては、ご先祖への感謝、供養の大切さ、お墓を持つ意義を一般の方々にお伝えすることが大切だと思う。

 

その後は、平素よりお世話になっている葬儀社の八光殿さん、仏壇店の八光堂仏具店さんも同席されての懇親会。こういった交流は大変良いことだと思う。我が宗門も取り入れて欲しいものだ。

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大阪朗門会として大本山本圀寺参拝

1月21日は、日蓮聖人の六老僧のお1人、日朗上人のご命日。毎年、大阪朗門会ではその聖日京都市山科にある大本山本圀寺で参拝しており、4回の参拝となった今年は11名でお参りさせて頂きました。雪が所々残っており、その日も底冷えがしました。

 

当会は大阪にある日朗上人縁故の御寺院様が集い平成25年に発足しました。当時初代会長として発足させたのが私の師父の先代住職でした。

本照寺も本圀寺の末寺になります。

 

本圀寺は帝都京洛における日蓮宗の古刹として勅願道場として栄え、西の祖山とも呼ばれます。

元々鎌倉の松葉谷に草庵を構え、法華堂と称されました。


ご入滅前の日蓮聖人から「立像釈尊像」と宗祖ご真筆の「立正安国論」と伊豆佐渡の「御赦免状」を「三箇の霊宝」として譲り与えられたのが日朗上人で、鎌倉松葉谷の本國寺に於いて教勢を広められます。後の日静上人の代に本國寺は帝都に移され、六条門流の基が築かれました。

 

江戸初期には水戸光圀公の帰依を受けたことで、寺号に圀が用いられるようになったと言われています。

大本山本圀寺は宗門の正嫡付法【しょうちゃくふほう】の根本道場とされ、現在に至っております。

尚、山科には天智天皇の御陵もあります。

 

その日は本圀寺の伊藤貫首様も御導師として法要、有難いお話を頂戴致しました。「仏祖へのお給仕が最も大切である」と仰っておりました。

 

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阪神淡路大震災二十三回忌の鎮魂、慰霊、供養

昨日は阪神淡路大震災から22年目の祥月命日だった。平成7年1月17日、早朝5時46分に突如として起こった激震により、6434名の尊い命が失われた。未だに行方不明者も3名いらっしゃる。
一昨年、昨日は神戸を始め阪神地区を中心に、色々な場所で慰霊が行われた。

 

昨日は午後4時から、日蓮宗大阪市宗務所主催の新年祝祷会において、阪神淡路大震災二十三回忌、東日本大震災七回忌、熊本地震一周忌の慰霊法要が行われ、出仕させて頂き、亡き御霊に祈りを捧げた。
愛する人を失った悲しみは計り知れず、我々僧侶はそういった方々の様々な思いを受け止め、鎮魂、慰霊、供養を精魂込めてしっかりと行うことが大切。勿論離れていても出来るが、現地に行けばさらにそれが感じられる。

 

現地に足を運び、地元の方々と交流することで、震災の悲劇をより身近に感じやすい。
慰霊供養とは、まず忘れないこととが前提にある。更には教訓として学ぶことにも繋がる。

 

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