八尾市仏教会ついにデビュー
昨日は八尾市仏教会の総会並びに懇親会に初めて参加させて頂いた。
先代住職は副会長として、当会に影響力を及ぼし、かつまた、皆様と懇意にさせて頂いていたことがよく分かり、嬉しい気持ちになった。他宗のお寺さんとな交流も大切なこと。
総会後の意見交換会では、加登石材店さんより「今どきのお墓事情」ということで講義があり、当山も墓地経営をしていることもあり、興味深く聴かせて頂いた。
墓場離れは寺離れ、葬式離れと共に「三離れ」の一つでもあり、関連業界の中では深刻な問題となっているのは周知の事実。
埋葬方法は、樹木葬や散骨、宇宙葬など多種多様化時代でもあるが、当然石材店としては暮石を購入してもらうのが一番。
お墓を購入されない主な理由としては、子供に負担をかけたくないなど相続の問題、手入れの問題等があるそうだ。
高齢など何らかの理由でお墓参りに行けなくなり、お寺に墓守をしてもらい。経済的な理由から管理料がかからない永代墓など無理難題を持ちかける方も増えているそうだ。
県別データによると、一番お墓参りに行く鹿児島県が一番イジメが少ないという因果関係があるそうだ。
墓じまい、改葬が増えている昨今、お寺側としては、ご先祖への感謝、供養の大切さ、お墓を持つ意義を一般の方々にお伝えすることが大切だと思う。
その後は、平素よりお世話になっている葬儀社の八光殿さん、仏壇店の八光堂仏具店さんも同席されての懇親会。こういった交流は大変良いことだと思う。我が宗門も取り入れて欲しいものだ。
大阪朗門会として大本山本圀寺参拝
1月21日は、日蓮聖人の六老僧のお1人、日朗上人のご命日。毎年、大阪朗門会ではその聖日に京都市山科にある大本山本圀寺で参拝しており、4回の参拝となった今年は11名でお参りさせて頂きました。雪が所々残っており、その日も底冷えがしました。
当会は大阪にある日朗上人縁故の御寺院様が集い平成25年に発足しました。当時初代会長として発足させたのが私の師父の先代住職でした。
本照寺も本圀寺の末寺になります。
本圀寺は帝都京洛における日蓮宗の古刹として勅願道場として栄え、西の祖山とも呼ばれます。
元々鎌倉の松葉谷に草庵を構え、法華堂と称されました。
ご入滅前の日蓮聖人から「立像釈尊像」と宗祖ご真筆の「立正安国論」と伊豆佐渡の「御赦免状」を「三箇の霊宝」として譲り与えられたのが日朗上人で、鎌倉松葉谷の本國寺に於いて教勢を広められます。後の日静上人の代に本國寺は帝都に移され、六条門流の基が築かれました。
江戸初期には水戸光圀公の帰依を受けたことで、寺号に圀が用いられるようになったと言われています。
大本山本圀寺は宗門の正嫡付法【しょうちゃくふほう】の根本道場とされ、現在に至っております。
尚、山科には天智天皇の御陵もあります。
その日は本圀寺の伊藤貫首様も御導師として法要、有難いお話を頂戴致しました。「仏祖へのお給仕が最も大切である」と仰っておりました。
阪神淡路大震災二十三回忌の鎮魂、慰霊、供養
昨日は阪神淡路大震災から22年目の祥月命日だった。平成7年1月17日、早朝5時46分に突如として起こった激震により、6434名の尊い命が失われた。未だに行方不明者も3名いらっしゃる。
一昨年、昨日は神戸を始め阪神地区を中心に、色々な場所で慰霊が行われた。
昨日は午後4時から、日蓮宗大阪市宗務所主催の新年祝祷会において、阪神淡路大震災二十三回忌、東日本大震災七回忌、熊本地震一周忌の慰霊法要が行われ、出仕させて頂き、亡き御霊に祈りを捧げた。
愛する人を失った悲しみは計り知れず、我々僧侶はそういった方々の様々な思いを受け止め、鎮魂、慰霊、供養を精魂込めてしっかりと行うことが大切。勿論離れていても出来るが、現地に行けばさらにそれが感じられる。
現地に足を運び、地元の方々と交流することで、震災の悲劇をより身近に感じやすい。
慰霊供養とは、まず忘れないこととが前提にある。更には教訓として学ぶことにも繋がる。
先代住職からの訓誡「人に喜ばれることを」
年始のお参りで檀家さんの家を毎日まわっている。
あるお家のTさんが、今年の暦を見ながらこう仰った。
数年前、真っ黒な星廻りの年は、どうしたらいいかと先代の住職に尋ねたところ「人に喜ばれることをすれば、黒が白に変わっていきます」と言われたそうだ。
まさにその通りで、お釈迦様は生まれによって地位や価値が決まるのではなく、行いによって決まるとカースト制を真っ向から否定した。
生年月日によって決まる運勢もそうで、変えられないのものではなくて、その人の行いによって変わっていくのである。
運勢、お調べ、星占いなど信じる信じないは自由だが、その結果や内容に固執し、捉われ過ぎると何も行動に起こせなくなる。それこそが仏教で苦や迷いの原因となる執着である。
亡き先代からTさんへのアドバイスを訓誡として受け止めようと思う。
初めて小豆島に行ってきた!
正月3日の早朝5時半、外はまだ夜明け前、暗闇の中自家用車に乗り込み、妻の実家がある広島県福山へ大阪から向かった。
午前中に到着し、その日のうちに高松に移動した。
愛犬のチワワと一緒だったので、ペット可のホテルに宿泊。
ペット連れで更に大変なのが食事の場所、高松市内の片原町商店街で見つけた「酒と焼鳥は文化」という看板が目に付いた居酒屋さん、外席があったので事情を話すと快くOK、レトロな雰囲気の漂う安くて美味いアットホームな感じの店だった。
翌日は朝から高松市内観光、愛犬も一緒だったので高松城跡庭園には入れず、源平による激戦が繰り広げられた屋島の合戦古戦場跡、対岸から臨める屋島を見ながら、当時の両軍の激しい戦闘がこの地で繰り広げられたと思うと身震いがする。
行列ができる有名な讃岐うどん屋「一福」さんで昼食、その後フェリーに乗り小豆島へ。
実は小豆島を訪れるのは初めてで、前夜にフェリー利用が便利だと分かり行くことにした。
小豆島は香川県に属し、瀬戸内海では淡路島に次ぐ2番目の大きさ、日本の島の中では19番目の大きさだそうだ。オーリブ園や醤油記念館、二十四の瞳映画村などで有名。初めて行ったが思ったより広く2時間くらいの滞在ではとても周りきれない。その中でもオリーブ園に立ち寄った。日本でのオリーブ栽培の始まりは小豆島と言われるが、沢山のオリーブの木が立ち並んでいた。
昭和天皇が立ち寄られた際に、種子を播かれ育ったという貴重なオリーブの木もあり、目にでき感無量。園内にはレストランやショップもある。
小豆島は醤油も有名で通りかかった金大醤油さんで万能のダシ醤油とガーリック油を買って帰った。
帰りは小豆島福田港からフェリーで姫路へ。姫路から車で大阪に帰って来た。仕事の都合で1泊2日の束の間の休日だったが、新たな発見があった。
今度は「二十四の瞳」を映画か小説で読んでゆっくり当地を訪れたいと思う。
平成29年 丁酉 謹賀新年 〜新しい一歩へ〜
遅れ馳せながら、明けましておめでとうございます。
お世話になっている方、拙いブログを読んで頂いている方、全ての有縁の方々に心より感謝申し上げます。
本年も何卒よろしくお願いいたします。
皆様はどんなお正月を過ごされましたか?
うちの寺には除夜の鐘がないとはいえ、年末から2日くらいにかけては檀家さんがお参りに来られたり、それなりに忙しく、漸く3日に妻の実家がある広島県福山へ‥。帰りに高松・小豆島に小旅行に出かけました。旅の日記は明日にでも書かせて頂こうと思います。
今年は丁酉(ひのととり)で、60年に1回やってくる組み合わせの年です。
丁は「火の弟」とも書かれ、火にまつわる年で人が火を起こすという意味があるそうです。
今年、新しい一歩を踏み出す人、チャレンジする人も多いのではないでしょうか。
躊躇している人は、勇気を持って羽ばたくことで、新たな発見や収穫があるかも知れませんね。
酉年だけに何かに懸命に取り組む年にしたいですね(笑)
仏教的には「信心の火」を起こす人が増えることを望みます。
ただし、風で簡単に消えるような信心ではなく、嵐が来てもずっと燃え続けるような堅固な信心であります。とにかく世の中全体がプラスに転じて欲しいものです!
町内自治会の夜警に参加!
本日は町内自治会の夜警最終日(3日目)、「火の用心」をしました。
微力ながら私、自治会の副会長と班長をしておりまして、今夜は昨日に引き続き参加させて頂きました。
本日は八尾市議会議員の大道あきら先生も夜警に参加され、終了後は親睦会もあり、先生から八尾市についての貴重なお話を拝聴しました。
おでんも美味しく、お酒を酌み交わしながらの有意義な時間となりました。
ご近所付き合いは大切!先ずは顔を名前を覚えることからで、いざという時の防災にも繋がるのです。
妻と愛犬も同伴しました(笑)