ニュージーランドレストランでのワイン会に参加!

昨日は宝塚のニュージーランドレストランで開催されたキウイサロンのイベントに久々に参加しました。

https://www.facebook.com/pages/キウイハウス/179071908912204 

 

今回はニュージーランドからブラックエステートの方が来日されてのワイン会でした。

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2003年、私はニュージーランドオークランドに日本語アシスタント教師として短期間滞在していた経験もあり、お寺で開催の英会話サークルに参加されていた仲間にキウイハウスさんを紹介してもらったのが約7年前でした。

 

ニュージーランド好きが集う当店には、ラグビー好きやワイン好きも集まるのも自然な成り行きか。

 

昨日は美味しいワインと伝統的な料理を堪能しながら、久しぶりにキウイハウスファミリー達と楽しい時間が過ごせました。

ブラックエステートの方ともお話でき、久々に英語を話し良い刺激になりました!

磯長 叡福寺での立教開宗会 大法要に出仕

4月29日は、大阪府南河内郡太子町にある磯長 叡福寺で大阪宗務所主催、立教開宗会の大法要があり出仕させて頂きました。

 

日蓮聖人は建長5年4月28日に、千葉県にある日蓮宗大本山である清澄寺の旭ヶ森に登り、旭日に向かって初めてお題目を唱え、教えを打ち立てられ、法華経弘通の誓いをされました。

 

叡福寺は日蓮聖人が参籠された地であり、法華経に傾倒された聖徳太子ゆかりの寺院として御廟(お墓)があり守られています。

 

日蓮宗管長ご名代として大阪市の松井宗務所長 御導師のもと、管内から多くの教師と檀信徒が集い、法要が厳かに執り行われました。

 

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「花まつり」と「お茶会」

週末、お寺で「花まつり」の行事を勤めさせて頂きました。花まつりは、お釈迦様のお誕生日をお祝いし、報恩感謝を捧げる法要を行います。花まつりの他に灌仏会仏生会釈尊降誕会という言うこともあります。

 

なぜ「花まつり」なのかと申しますと、お釈迦様のお誕生日とされる4月8日が桜の季節であることよりも、お釈迦様がお生まれになった場所が、色とりどりの花が咲き誇るルンビニ園だったことに由来しているようです。花まつりの行事では、花御堂をしつらえて仏像をおまつりします。

 

また、当山では今年初めて可愛いお釈迦様のイラストが入ったのぼりを立てました。

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来て頂いた参拝者には、仏像の上から甘茶をそそいで頂きます。それにも理由があって、お釈迦様がお生まれになった時、龍王が天から甘露の雨をお釈迦様の周りに降らせて、産湯の代わりとなったという言い伝えがあります。

 

当日は法要の後、お釈迦様の出生にまつわる法話をさせて頂きました。

 

また、合わせてその日はお寺で煎茶のお茶会が開催されまして、着物の姿の女性が沢山いらっしゃいました。

私も美味しいお茶を頂き、沢山の美女に囲まれ写真まで撮らせて頂きました。

住職をしていて良かった(笑)

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石井光太著『遺体 : 震災、津波の果てに』を読んで

東日本大震災からちょうど2年後に『遺体 : 明日への十日間』という映画を観たが、原作は初めて読んだ。

舞台は岩手県釜石市。遺体安置所の関係者など多くの証言から筆者の視点で構成された渾身のルポルタージュは、震災発生から約3週間の壮絶な惨状が描かれている。

 

因みに拙僧は、震災から一年後に有志として釜石市を訪れ、日蓮宗仙寿院様での多くのご遺族参列の元、一周忌法要に出仕させて頂いただけに、感慨深く涙が溢れ出た。

 

6年前、津波によって破壊されたあの現場で、次々に増えていくご遺体を目の前にして、それぞれの持ち場で役割を担い全うされていた方々がいた。駆けずり回った自衛隊海上保安官消防団員、医師、歯科医、歯科助手、葬儀社、市職員、民生委員、僧侶といった方々の尽力があったことを忘れてはいけない。

 

そんな中で、ご遺体をご家族の元へお返ししたい、供養をしてあげたい、何とかしてあげたいという気持ちが本書から伝わる。特に優しく向き合っておられた民政委員で元葬儀社社員の千葉さん(映画では西田敏行が演じる)と仙寿院住職の芝崎さんのお二人が印象に残る。


最後に生きたいと願いながらも亡くなっていた方々、必死で救おうとしたが叶わなかった命があったことを何年たっても忘れてはならないと改めて思う。

原作も映画 もどちらも心打たれる作品になっている。

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映画↘️ 

https://youtu.be/6NrrCsbrpJQ

東日本大地震七回忌 〜6年目の想い〜

東日本大震災から6年目の祥月命日、仏事としては七回忌という大切な忌日である。

一周忌は、映画にもなった石井光太さんの『遺体』にも登場する岩手県釜石市の仙寿院様で行われた一周忌法要に出仕させて頂いた。

三回忌は日蓮宗大阪市社会教化事業協会主催で石巻市法音寺様、大川小学校などで慰霊供養を行い、陸前高田市立図書館にも訪れた。

今回は離れた大阪の自坊で法要、祈りを込めることとなった。現地に行けずに申し訳ない気持ちもあるが、たとえ1人であっても何らかの形で慰霊法要を行い祈りを捧げたかった。

昨夜は遅くまで、想いのこもった回向文の作成に取りかかり、その内容を分かりやすく現代語訳にしたものを実際に声に出し、祈りの気持ちを精一杯お伝えした。

以下は現代語訳である。

 

東日本大震災 七回忌の祈り」

 

心より御宝前・仏祖三宝の御前において「法華経」を読誦させて戴き「御題目」をお唱えさせて戴きました。この功徳を、平成二十三年三月十一日に発生した東日本大震災で亡くなられた殉難物故者一切の諸霊に、めぐらし手向け、本日卒塔婆を建てて、七回忌の法要を行い、追善供養をさせて戴きました。

 

あの日、東北地方太平洋沖で発生した未曽有の大震災は、東日本の大地を揺るがし、大津波となって三陸沿岸部を襲いました。
その津波は人々を飲み込み、建造物を破壊し、沿岸部の町や市街地は悉く壊滅状態となりました。

 

そればかりか、東京電力福島第一原発に重大事故が勃発し、放射能漏れが起こりました。
これらはまさに、未曽有の国難とも言われます。

 

多くの尊き命が失われがました。また未だ行方の分からない方もいらっしゃいます。
愛する人を亡くされた悲しみは計り知れません。

 

今ここに、亡くなられた方々の御霊を想い「法華経」の読誦、お題目の功徳によって、速やかに霊山浄土へ導かれることをお祈り致します。

 

お釈迦様は「法華経」で次のように説かれております。
「今人々が悩み苦しんでいる三界の世界は、すべて仏陀である私のものである。その中に住む生きとし生けるものは、すべて私の子供達である。しかもこの世界は、様々な困難や苦しみが待ち構えている。その中で、仏陀である私一人だけが、救いを示し、護っているのである」

 

苦しみから離れる教えこそが「妙法蓮華経」の法門であります。「法華経」の一文一句を聞いて、感動してこぼれ落ちるひとしずくの涙…。その功徳によって、迷いと苦しみから離れ、必ず仏となるのです。

 

被災された方々にとって、安心と明るい未来が訪れ、更に被災地が住民の希望に添える形で早期に復興しますようお祈り致します。
天の覆う限り、地上が続く限りのすべての地に、悉く平和と安穏が訪れ、人々が安心して暮せますように。 

 

仏様は、常に私たちのことを心から思い続けて下さっているのです。どのようにしたら、全ての人々をこの上ない仏道に導き入れ、速かに仏の身を成就させることができるであろうかと。合掌

節分と恵方巻きについて!

昨日は節分で、冬至春分の中間にあたり、暦では立春となりました。
神社仏閣などでは豆撒きの行事や星祭りの厄除け祈願と言った例祭が執り行われたことと思います。因みに自坊では明日5日11時から行います。

加えて節分と言えば、近年恒例になっている恵方巻きを食べること、一般の方々にとってはこちらの方が馴染み深いものになってきているかも知れません。
あるコンビニではノルマ化され大変と、悲鳴に満ちたバイトの方によるツイートも流れていたようですね。

 

恵方巻きの意味と起源を知ると、来年から買い方や食べ方が変わるかも知れません。

毎年方角が変わる恵方というのは、陰陽道の神様である歳徳神がおられる方角です。
歳徳神というのは、その年の福徳を司る神様で、方角はその年周りの十干によって決まります。今年は丁で北北西のようです。

歳徳神は、歳神様、正月さまとも言われ、神様をお迎えする為に、そもそも正月に門松を飾ります。因みにどんど焼きは、歳神様をお見送りする行事として、門松や正月飾りなども一緒に焼くようです。お盆に行うお迎え火送り火にも似ていますね。

いつしか福をそのまま呼び込もうと、巻き寿司の丸かじりが始まったとか…?
由来は諸説あるようです。


昭和初期に大阪の寿司屋組合が宣伝の為に行ったとか、オイルショック後に海苔の需要拡大を狙い大阪の道頓堀で早食い競争のイベントを行ったとか言われています。
また、ここでは具体的には書けませんが、昔大阪の花街などで、遊女や芸子に丸かじりさせ男性が楽しむお遊びが流行っていたとか…。


いずれにしても大阪が発祥のようでして、平成元年になって広島市セブンイレブン恵方巻きとして売り出されたのがヒットし、やがて関西や全国でも販売されるようになり、今に至るようです。

今も昔も罰当たりと言いましょうか、遊び感覚や商売が縁起担ぎと結び付いたという、まさに人間の煩悩の表れの象徴ですね。
果てして歳徳神さんは有名になって嬉しいのか、怒っておられるのか私は全く分かりません。

先代住職の三回忌が無事に終わる

大阪夏の陣の道明寺の戦いで戦死した槍で有名な武将、後藤又兵衛は、かつての主君であった黒田官兵衛の死後、三回忌法要が終わるのを待って黒田家を出奔しました。
父親のように慕った主君への後藤又兵衛の忠義が讃えられています。

 

亡くなってニ年後に迎える三回忌はある意味で大きな節目でもあり、特に丁重にご供養することが大切です。

余談ですが、死後ニ年後に三回忌を迎えるのは、数え年のように亡くなった時を既に一回忌として数えるからであります。亡くなって一年後だけは二回忌と言わずに一周忌とします。

 

28日は先代住職 龍昇院日宗上人の第三回忌法要を厳修させて頂き、多くのご寺院様を始め、総代・役員さんにご参列頂きお焼香を戴きました。

早いもので、先代住職が忽然として遷化され2年の月日が流れました。ここまで滞りなく無事に勤めさせて頂けたのも、お力添えを賜った多くの方々のお陰であります。


この日ご参列頂いたのは、先代が好きだった大切な仲間、先輩、友人、後輩、慕って下さった方々…。きっと喜んでいることでしょう。


今後は師父の遺誡を守り自分らしさを発揮し、内には給仕、外には教化活動を行い善行を積むことが何よりの供養となることでしょう。

三回忌が終わり、少しずつ羽ばたいても良いのかも知れませんね。主としてお寺の守りはしっかりと固めつつ。

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